【短編小説】 雪椿
「雪椿の名の由来をご存知ですか?」
「それはやっぱり雪の降る季節に咲くからだろう」
「そんな単純な由来じゃございませんわ」
女は男を嘲るように小さく笑った。
男は憮然として腕を組む。
「極寒の吹雪のなか、耐えて耐えて耐え抜いて、越冬して漸く花開くから雪椿と名づけられたんです」
女は鋭い眼差しを男に向ける。
「それだけ辛抱強い花なのです」
女は静謐な炎を宿らせた瞳で男を見つめ力強い口調で告げた。
「どんな厳しい環境でも耐え抜く覚悟を持って生きているんです」
男は大きな溜め息をついて、誰ともなく呟く。
「酷な名前をつけたもんだな。あんたの親も」
「親には感謝しています」
「借金の形に売り飛ばされてもか?」
「……えぇ。育てられた恩がありますから」
「好いた男と無理やり引き離されたと聞いたが」
凪いだ女の瞳に動揺の漣が見えた。
「致し方ありません。これも運命というものです」
「それも覚悟のうえってかい?」
「え、えぇ」
女は顔を逸らせて俯く。
男は口の端を上げて、女の嘘を蹂躙するように視る。
「まだその想いびとに気があるみたいだな」
「……気など、ありません」
「嘘だね」
嘘を暴かれた女は唇を噛み締めながら、潤んだ瞳で男を見る。
「雨水(うすい)には、雪椿も気が緩んじまうのかね」
先ほどからずっと障子越しに聞こえてきている冬の雨音。
越冬して後は花咲かすを待つのみと……。
「辛抱強く耐え抜くだけが雪椿って花の人生なのかい?」
「それは……」
「花は美しく咲いて、命をまっとうしてなんぼだろう。だから散りぎわも美しいんじゃねぇのかい」
女の双眼が男の温みに揺れる。
「あんたは確かに雪椿の名に相応しく美しく艶やかに咲いてるよ。でもこのまま後悔を残したまんま咲き続けても、美しくは散れないんじゃねぇかな」
女は複雑な表情を浮かべながら、男の雪解けを思わせる言葉に聞き入っていた。
「美しくってのは潔くって意味だ。雪椿にはぴったりの言葉だろ」
女は縋るような眼で男を見つめる。
「あいつには俺に恩義があるんだ。だから俺にあんたを抱かせようとした」
離れの座敷から、家の主の放蕩夫の卑下た笑い声が微かに聞こえてきた。
「あいつは俺に逆らえねぇ深い訳があるのさ。だから絶対に嫌とはいわねぇ」
女の瞳に一縷の光が宿る。
「俺があんたをあいつから奪う。いっちょ芝居に付き合ってくれるか?」
女が力強く頷く。
「でも勘違いしちゃいけねぇ。あんたはある意味、籠のなかで護られてもいたんだ。その生活を手放すって事は、いろんな意味で覚悟が必要だって事は解るよな」
女は芯の強い眼差しで男をまっすぐ見つめ、そしてゆっくり頷いた。
「さすがは雪椿だな。あんたの覚悟は半端じゃねぇよ」
「半端って言葉は嫌いです」
「だろうな」
二人はくすくすと笑い合った。
「雪椿」
「はい」
「その恋、ちゃんとまっとうして潔くいきな」
女は涙を拭いながら、何度も頷いた。
「おっと。雨水(うすい)の涙はもう少し後にとっときな」
雪解けて、雨水(うすい)なり
越冬覚悟で芽吹いたら
後は雨水(うすい)に身を委ね
凍えゆく身を緩ませて
恋に咲かせて恋に散らん
― 完 ―
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