【日記、雑多】訂正と人間不信と【エッセイ】
前回と似たようなタイトルをつけるのは個人的に恥ずかしいのですが(深い意味は無いです、個人の好み)タイトルに訂正と入れる以上今回はこの様式でお願いします。
僕は人間不信が強まっていると自覚している。
怖くてすぐ逃げる。
物理的か精神的かはまちまち。
でも間違いだと気づいた時はごめんなさいして、こうでしたと説明(訂正になるのか)したくなることもある。
心療内科の先生(架空)に、問診のようなことをしてほしいと頼んだら、いつもより質問をしてもらえた。
前回の記事でカウンセリングどうこうと書いてしまったが、僕はカウンセリングの定義はそのとき今よりも全然わかってなくて、カウンセリングの言葉の意味することは日本だと僕の受けている治療には当てはまりそうでは無い。
だとしたら、僕が正しく書くべきは、質問などをしてもらえないと書くべきだったと思うのだけれど、僕が無知で失敗してしまいました。
ごめんなさい。申し訳なく思ってます、ごめんなさい。
救われたかったんです。
いつだって自分のために書いてるから、自分に言い聞かせるように、よくないこと書いてしまうこともあります。
あとから他者の良いところに気づくと、自分が辛かった時に文字として喚いたことに、考えを変えなきゃと思うことがあります。
その頻度に合わせて、僕、人間不信拗らせてるなってこの一年ぐらい思うのです。
書いてて辛くなってきたので別のお話に変えます、すみません。
最近、発達障害の処方薬を変えてもらいました。
一つ目のお薬は、副作用が僕にはキツくて、こんなお薬、人生で初めてだってなりました。
飲みたくなくて、先生に相談し、今のお薬変えてもらいました。
二つ目のお薬は、一つ目と違いあんまり副作用は感じず、できることも増えた気がするので、もうしばらく飲み続けて様子をみたいと思っています。
自分と向き合うって時に怖いです。
年々、心配性になり(杞憂のことのほうが多いです、大丈夫)大丈夫って自分を鼓舞すると、その大きくなった気持ちで書き過ぎることもあります。
みんながどんなことを書こうとそれでいい、自分の書きたいことを書いてくれているのをながめるのが僕個人としては好ましいことが多い、
けれどいざ自分のこととなると、それをあとで内省することになります。
なにごとも良し悪しがあるので仕方無いとも思えるのですが、今はそういう気持ちだと書きたい気分です。
躁でぶちまけて、鬱でくるしくなる、よくあることだとも思います、いや僕は詳しいわけではないので間違ってるかもしれませんが、いつだって間違いだらけで、おおよそそのとき僕が思ったことを書いてるだけなんです、今は不安だけど、それを言語化してる感じです。
すこしあかるい話もしましょう。
ここ一年ぐらい足をつらなくなりました(こむらがえり)
変わったのはおそらく食生活です。
どう変わったかは自分でも説明がむずかしいです(素直)なのでしません、昔よりはいろんなものを食べるようになったとは思います(書いちゃった)
前回が前編とするならば今回はおそらく後編ということで、今回もフィクションです、というかそう書かないと整合性とれない。
ちょっと疲れているので、この辺りで、今のお薬、僕に合うといいな。