#36「“ばかまじめ”な僕に幸あれ」
前回の更新から約1週間が経ちました。
書きたいことがたくさんあって、何から書こうかと考えていたら、結局何が書きたいのかわからなくなってしまいましたが、とりあえず書き始めてみます。
この1週間は、会社のリクルート活動の一環で毎日インスタライブをやっていました。
以前にも少しこのnoteに書いたことがありますが、
会社のリクルート用のインスタグラムを立ち上げることになり、現場から逃げ出した自分は、とりあえずそのプロジェクトに関わらせてもらうことになりました。
自分が憧れてきた仕事、期待して入った会社、そして何かできると思っていた自分自身に、たったの3ヶ月で絶望した奴が、その会社をPRするために日々頭を悩ませる。
何度もここに書いている気がしますが、なんと皮肉な話でしょうか。
というか、それを少し楽しんでいる自分が怖いです。
テレビ制作に携わってみて、確かにテレビの影響力の強さみたいなのは感じましたが、今はそれもSNSがベースとなってあることに気づき、やはり何かを発信していくには、SNSを攻略するしかないのかなと思い、今後この業界を離れたとしても、今やっていることは活きてくると信じて、とりあえず任されたことに向き合っています。
あの夜を覚えてる
2022年3月27日
上京して身の回りの整理もひと段落し、
数日後に始まる社会人としての新生活に、期待と不安を抱きながら、パソコンの画面に向き合っていました。
「あの夜を覚えてる」
ニッポン放送を舞台に、ラジオを題材にした生配信の舞台演劇。
ラジオ好きとして、そしてこれからエンタメに携わっていく者として、
純粋に楽しみたい気持ちと、同業者としてチェックしなければいけないという義務感みたいなのが混ざって、よくわからない心境で見ていた気がします。
ラジオ局がドラマを映像で届ける、しかも生配信で。
改めて思いますが、なぜこの企画が成立したのかよくわかりません。
テレビ局でもこんなことはなかなかできないだろうなと思います。
先日、この「あの夜を覚えてる」のBlu-rayが発売され、
佐久間さんのイベント参加時に急遽予約していたものを受け取り、
久しぶりに観ました。
3月末の生配信を見ていた時とは違って、世の中のあらゆることに絶望しきった自分が、久しぶりにこの作品を見て何を感じるのか、自分でもそれが気になりながら再生ボタンを押しました。
その答えは、「やっぱり自分にも何かやれそうな気がする」でした。
これは生配信を見ていた3月末と全く変わらない感情です。
自分がまだこう思えることに驚きながら、それだけこの作品が素晴らしいものだと再認識しましたが、この「何かやれそうな気がする」という感情も、当時と今とでは異なるものだと思い、自分なりにそれを考えてみたいと思います。
憧れと現実
※ここからこの作品のネタバレが含まれます。
「あの夜を覚えてる」はラジオを題材にした物語で、
主人公はラジオが大好きでラジオ業界に入ってきたあるADさん。
忙しい業務の中で、ミスをしてしまうたびに、
“自分はこの仕事に向いていないのではないか”と頭を抱えてしまう。
この場面はこの作品の序盤に過ぎませんが、
妙に“今の”自分には刺さりました。
というのも、私自身もテレビ制作の現場に入って1ヶ月が経った頃、
他のスタッフの体調不良などで、右も左も分からないのに自分に打席が回ってきて、自分なりに考えて行動したことが全て裏目に出てしまい、見事に自信を無くしました。
この業界に入る前から、自分の性格的に向いていないことは何となくわかっており、正直自分が好きなことを仕事にすることに迷いがあったため、その想像していたことが全て現実となってしまい、かなりダメージを受けました。
その時に上司がかけてくれた言葉を無理やり自分の中に落とし込み、
どうにか乗り切ろうとしましたが、2ヶ月しかもちませんでした。
休職後はその苦い記憶に無理やりフタをして過ごしてきましたが、
今回この作品を見たことで、鮮明に思い返されました。
今思い返せば、当時犯したミスは大したことではなかったし、周囲もなんとも思っていなかったのではないかと思います。
“思います”とは言い切れないですが、当時も上司からそのようなことを言われていて、あれから時間が経って自分でもそのことが少しずつ理解できるようになってきました。
“ばかまじめ”とは
主人公のADさんが自分と重なってしまったことで、
「あの夜を覚えてる」を通して、この春からの自分についてもう一度振り返ってみました。
主題歌「ばかまじめ」の歌詞の一部です。
自分で言うのもおかしな話ですが、
休職することになったのは、任された仕事を全て断ることなくこなしてしまったのが原因です。
「〇〇くん(←自分)は真面目すぎるからダメだよ、ちゃんとサボらないと。」
休職後に他部署の同期に言われた言葉です。
確かにそうなんです、それは自分がよくわかっているんですけど、なぜかできないんです。
仕事柄、仕事は膨大に降ってくるわけで、それが目上の人に任されたことであっても、うまく断ったりしながらコントロールしなければ誰でもつぶれます。同じチームで仕事をしていた先輩も、かなり真面目な方で、たった2ヶ月ほどしか一緒に仕事をしませんでしたが、毎日顔色が悪く辛そうでした。
案の定、その先輩は体調を崩してしまい、そしてそのまま会社から姿を消しました。
余談ですが、先日渋谷の交差点で遠目にその先輩らしき方を見かけ、今までに見たことがない程に顔色が良く、その姿を見ただけでなぜか嬉しくなりました。
話が少し逸れてしまいました。
昔から「真面目だね」と言われ続けました。
今となっては何の自慢でもなく、自分を苦しめる“荷物”でしかありません。
最近、会社の先輩に連れられて行った飲み会で、20歳くらい上のある方と知り合ったのですが、その方は性悪説を唱えている方で、その飲み会でも性悪説に基づいた世間話で盛り上がりました。
自分も性悪説を信じている身なので、妙に共感する話ばかりでしたし、性悪説を信じているが故に、自分が完全に真面目な人間であるとは思ったことがありません。
休職してからというもの、毎日のように「真面目」とは何なのかを考えてきました。
結局答えは見つからず、これは自分が一生付き合っていかなければならない課題なんだということで、とりあえず自分を納得させました。
有料記事なので詳細については書けませんが、
ちょうどこのタイミングで若林さんがその答えに近づけてくれる投稿をしてくださいました。
休職してからは特に若林さん(@m_wakabayashi)の言葉に救われてました。
勝手ながらこの場を借りてお礼させていただきます。
それで結局、「ばかまじめ」とは何なのか。
"常に自分を疑い続ける視点”ということにしておきたいと思います。
少々難しい言い回しになってしまいましたが、
大人になった今は苦しめられているこの性格(疑いの目)も、
これまでの人生においては、自分の武器となって、確実に自分を助けてくれていました。
常に自分を疑い、どこかに穴があるのではないか、改善の余地があるのではないかと考え、一切の妥協を許さない。
こう書くと、何かの達人みたいに見えてしまうかもしれませんが、決してそんな大袈裟な話ではなく、でも人生の要所要所で踏ん張ってきたからこそ、今があるのだとは自覚しています。
じゃあ何で今回は踏ん張れなかったのか。
簡単に言えば、大人になって世界が広がったことで、単純に自分が頑張ったところで何も変わらないことに気づいてしまったからです。
先ほど少し触れた先輩もそうでしたが、
過去にうまくいった成功体験がある人ほど、自分が頑張ればどうにかなると思って無理をしてしまいます。
でも、先輩と自分がいたチームは組織として終わっていたため、
自分たちが頑張ったところで何も変わりません。
忙しさと過労によってまともな精神状況ではないため、その何も変わらないことが組織のせいではなく、自分のせいだと思い込んでしまいます。
自分の場合は、“自分のせいではない”ことに早い段階で気づけたことで、それ以降は全てのことを環境や他者のせいにして、どうにか誤魔化しながら乗り切ってこれました。
ただ、それも長くはもたず、元々が“ばかまじめ”なので、そうやって全てを周りのせいにしてしまっている自分が許せなくなるし、さすがに環境に潰されるのに耐えられなくなってしまいました。
ここまで書くと都合がいいように捉えすぎかもしれませんが、
本当に何の自慢でもなく、サボれないことが辛くて仕方ありません。
今でも現場に残っている同期たちも辛そうではありますが、
根本的に彼らは“ばかまじめ”ではないので、
どこかで手を抜くことができているし、そういう人に任される仕事の量は大したことありません。
これも立派な才能なので、心の底からうらやましくて仕方ないし、尊敬しています。
笑い話にできると信じてるんだ
最近ようやく、会社の同期と会って話せるようになりました。
彼らが自分のことをどう見ているのかはわかりませんが、
あれだけ周りの目が気になっていた自分が、こうなってしまったのによく会社の同期の前に顔を出せるなと、自分でも不思議に思います。
休職して間もない段階から、「何で自分はこうなってしまっても、この会社、この業界にしがみついているんだろう」と気になっています。
自分がやりたかったこと、自分が携わってみたかったものに関わることができたのに、そこで何もできない自分、そして思い描いていたものとは違った現実を知ってしまい、全てに絶望してしまったにも関わらず、それでも会社には残っている。
自分のことなのにいまだになぜなのかわかりません。
「ばかまじめ」の歌詞です。
この部分が今の自分を支えてくれているのだと思います。
たった数ヶ月で潰れてしまったやつが、この先もこの業界でやっていけるとは思えませんが、それでもがむしゃらにしがみつこうとしている。
長い歴史の中で評価されるものが固まっているこの業界で、
自分みたいな人間が評価されるには、新しいものに飛びついて、新しいビジネスモデルを模索しながら、新しいものを作っていかなければならない。
おそらく、自分が逃げ出してきた場所で上に上がっていくことよりも難しいかもしれませんが、それでもわずかな可能性に懸けて必死に新しいものを吸収している今は楽しいです。
こんな状況でも前を向けているのも、もしかしたら“ばかまじめ”だからかもしれません。
いろいろあった1年が終わり、
来年こそは少し前を向いて進んでいけたらと思うばかりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2022.12.29 作成
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?