「雑1」 斎藤知事的考察
「虚勢を張る人ほど中身がない・・・」
「雑」は、
雑談として、日常の思ったこと考えたことを書いていこうと思います。
今までの人生の中であてはめられるもの、経験のないもの、毎日の人生って自分と比較しながら生きていきますよね。
そうして少しずつ、経験を積んでいく、経験するための失敗こそ重要だと思います。
昨今の斎藤知事の話。
私は県外ですが心を痛めながら事のいきさつを見ています。
40年も一生懸命働いてきた人が、「嘘や噂をまとめて公益通報した」とし、死を選ぶだろうか?
これからリタイア後の第二の人生が待っているのに、人はそう簡単に死ねないでしょう。
「死をもって抗議する」
この一言が自分には鋭く心に突き刺さりました。
ただ、心の中で葛藤があったにしろ死を選んだら負けです。
美談では決してありません。
泥臭くても、生きなきゃダメです。
斎藤知事は、自分の今までの人生経験と当てはめて「中身のない虚勢を張る人間」ととらえています。
自分の経験したことのない新しい事に出くわしたとき、その対応で人は決まります。
・その新しいアイデアと思想を好意を持って受け入れるか?
・知らないのに知っていると虚勢を張り、中身のない自分を隠そうとするか?
下記の場合は、中身のない人生経験の薄い人間だと思っています。
目立つ失敗もせず、今までの自分を過信している典型的な人間。
その失敗の無さに自ら恐怖し、人生の薄さを自分で理解しつつ虚勢で隠そうとする。
虚勢を張ると人はコミュニケーションが取れなくなります。
本来の自分と乖離した自分像が作り上げられるからですね。
その人間が権限を持っているとたくさんの人に迷惑が掛かります。
人は失敗したときに、心が折れつつも新しい自分像が見えてくる。
そして、今まで見えなかったものが見えてくる。
人生ってこの繰り返しだと私は思います。
それに気づくのが早ければ早いほど、たぶん中身が濃い、人に好かれる=人を魅了する人間になるのではないのかな?と思います。
この人面白そうだって思わせたら、こっちの勝ちですから笑。
だから、人生で失敗が許されている間に沢山の失敗をして経験を積んでください。
小さな失敗に怖がらないでください。
まだこの社会は、失敗をカバーできるくらいの倫理は保たれてると思います。
彼は頭がいいのかもしれないけど、仕事ができない典型的な人間だと思うし、コミュニケーションも実際に人ととれるほど人生経験を積んでいないの ではないかと思います。
人を指導するには必ず「愛」と「情」が必要です。
「パワハラ」と「指導」の違いはここです。
上司と仕事頼まれた時「ありがとう!」とニコニコして礼を言ってもらえることを考えて仕事しますし、共同で一緒に仕事するときは、この仕事の未来が見えるその「先」やゴールがお互いが見えてるから仕事できるのではないでしょうか?
ES(Employee Satisfaction)という考え方ですね。
これがそもそもお互い見えてない限り、やはりそれは「パワハラ」だと思います。
長くなりました。
こんな人が首長になってよく3年も持ったなと同時に、職員さんはよく耐えたなぁと思います。もうひと踏ん張りですね。