「雑13」 地方公務員の責務の意味
この一言で自分はよくわかった。
兵庫県民の民意は尊重するもの、それが民主主義であり、確かに責務である。
ただ、人間としては、現在、戦々恐々と感じている職員に、一緒にやることが、地方公務員としての責務と真っ向から言えるこの感覚は人に寄り添える人間ではないと思う。
職員は地方公務員の前に一人の人間、その一人の人間という側面を今後斎藤氏がとらえられるかだ。
人に寄り添うためには、寄り添うための相手の気持ちを知る見識が必要。
相手の事を想像して、どうすれば寄り添えるか考えられる力が必要。
それは、頭がいいとか悪いという次元ではなく過去の経験がものをいう。
彼にはそもそも、その経験さえないから変わりようがないのだろう。
彼は過去に受験で失敗して苦労したとあるが、それは一人でどこまで戦えるかだ、受験は一人の戦いだから。
そうではなく、人とどのようにつながってきたか?苦労してきたかの経験だ。
兵庫県の民意を尊重して、斎藤知事が戻ることに対して民主主義のシステム、その通り、そこを何も言うつもりはない。
ただ、万が一彼が今言っていることと正反対の行動が見えれば、職員の中から改めて声を出すしかないかもしれないね。
やはり、職員の武器は、公的通報しかない。
つるし上げられても公的通報するしかないと思う。
今回は、民主政治としての、危険な側面をよーく見せていただいた。
戦前と戦後の価値感の違いになぞらえてる人がいたけど、今回の地方選挙で今までの民主政治のとらえ方とは、全く変わったと思う。
オールドメディアの報道の衰退とネットパワーの危険性がよくわかる選挙だった。
ネットパワーをうまく操る立花氏が22首長に対し対抗馬を立てると公言している。
立花氏がネットパワーの効果を十分認識し、真の正しき判断をするには悪しきことも必要である、そして勝ち取ったという気持ち良さ。
この感覚が今後の兵庫県の若い世代に浸透していくのではないか?
兵庫県の未来をどう見てどう判断するかは兵庫県民が答えを出すしかない。
多々地方行政機関が今後の兵庫県を注視しているだろう。