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最後の12時間

大切な命とお別れすることになった2023年2月。

不思議と湧いてくるのは「悲しい
ではなく「新しいことを始めよう
でした。

父の最後の姿を見たことは
私の人生を変えましたし
私の兄弟にも同じように変化を
与えたようです。

詳しい病気のこと・治った経緯などは
また別の記事でお話しすることにします。

さっきまで生きてたのに

急に苦しそうにしたかと思うと
ほどなくして息を引き取りました。

なんとなく
テレビの中のような、
空想のことのような出来事に見えました。

そのせいか、私はずっと冷静で
心拍数の数字をメモしたり、
様子をスマホに記録してました。

息をしなくなった時刻
先生に死亡確認してもらった時刻
でさえもメモに残しています。

先生に「死亡診断」を受けると
すぐに家族・親族に電話とメールをしました。
おそらく10分〜20ほどで
全員に連絡し終わってたいと思います。

教育者として生きてきた父。
残された家族に「何かを教えている」のだと思いました。

夜中に電話がなる、ということ。

父の状態はよくありませんでした。
1ヶ月前からずっとです。

だから数週間前から実家に帰っていて
子どもの学校も休ませていました。

その日も、眠りがあさく
夜中の2時に目が覚めました。

トイレに行って
スマホを見て時間を確認しました。

再び眠りにつくまでの時間に
スマホがなりました。

急変しましたとの連絡。

夜中に電話がなる、ということ
それは最悪の事態を覚悟する時間が来た
という合図でもありました。

5分で家を飛び出した

いつ電話が来てもいいように
リュックの中に必要な荷物を
準備してありました。

数週間の間、毎日そうしてました。

そのため、パジャマから着替えて
ダウンを着るだけで家を出れました。

家族が来るまで迎えにきてくれたので
それに乗って病院へ向かいました。

片道1時間のところにある病院なので
正直、もう息を引き取っているかもしれない。

覚悟しながらも、

家族全員で戦いに行くような
前のめりで車に乗っているような

そんな雰囲気でした。

夜中の道路は空いていて
予定より10分ほど早く病院につきました。

到着すると
「安定して眠っています」
とのことでした。

間に合った。
少し「ほっ」としました。

数字が表すこと

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