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これが私の311。

時の流れは早い。

9年前の3月11日の昼過ぎ、私は高田馬場の地下スタジオで当時のバンドメンバーとリハーサルをしていると、今までに感じたことのないような世界の揺らぎを感じた。兄貴は「これはいよいよ大地震だ」といいながら、まず防音の二重ドアを開け、京子を連れてグランドピアノの下に隠れた。(どうやらこれは適切な行動ではないらしいのだが)天太はドラムを叩き続け、葉平はベースアンプが倒れないように抑えていた。私はそれらをただ見ていた。

しばらくして揺れが止むと全員急いで外へ出た。余震が何度も続き、ガラス張りのビルのブラインドが揺れていた。携帯端末でニュースを確認すると、現実とは思えないような光景が目に飛び込んできた。

その日は寒かった。全員ひとまずカフェに避難し、余震を感じながら家族との連絡や帰りの交通網の情報を調べ、現地で解散となった。電話回線はパンクしていて、都内の交通網は殆ど停止していた。私は小田急線が復旧することを期待して、兄貴とギターを背負って新大久保のコリアンタウンを通過して新宿駅に向かった。道中、多くの人が慌ただしく道路を行き交っていた。

新宿駅も人混みでごった返していた。兄貴は田園都市線の回復に期待して渋谷駅に歩いて行った。(結局、兄貴はその日三時間かけて多摩川の辺りまで歩いて帰ったらしい)

私はギターを背負って多摩川の向こうまで歩いて帰る体力は持ち合わせていなかったので、早々と交通網の回復に見切りをつけてネットカフェに向かった。

携帯の電源も尽きていたので、ネットカフェのPCでFacebookを使って親族や友人と連絡をとった。この時ほどSNSが役立ったことは無かった。

ネットカフェにいる間も余震は続いていた。新宿の雑居ビルがグラグラと揺れた。一通り連絡を済ませ、トイレへ向かうと受付カウンターから出口までの通路に長蛇の列が並んでいた。その日は多くの人が行き場所を失っていた。

この日に関しては音楽は全く役に立たなかった。というか音楽のことなど完全に頭からすっぽりと抜け落ちていた。むしろ背負ったギターが重荷となる程だった。私は身の回りの数少ない人々の無事を願うだけのちっぽけな人間だった。

これが私の311。

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佐田宗義
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