チャイルドシートが外せない。
私の家には電動アシスト自転車がある。
前方と後方にチャイルドシートを装着しており、前方は4歳まで、後方は6歳まで乗ることができる。子供たちが小さい頃は兄弟二人を前後に乗せて自転車で移動していた。
長男は既に7歳なので一緒に自転車に乗ることは無くなってしまった。今、次男が5歳なので来年には一緒に乗ることもなくなるのだが、いまだに前方のチャイルドシートすら外すことができないでいる。
子供達が小さかった頃にヘルメットをかぶって自転車に揺られる後ろ姿を今でもありありと思い浮かべることができる。最初は長男が前方に、次男が一歳になると長男が後方に座った。二人といろんなところへ行き、いろんな話をした。
暑い夏の日に緑のトンネルをくぐり抜けたこともあったし、雨の日にカッパを着て幼稚園へ送迎することもしばしばあった。(朝子供達を幼稚園へ送るだけでちょっとした作戦を成功させたような気持ちになった)
家に着くといつの間にかシートに座ったまま寝ていることもあった。その後二人を抱っこして家のベッドに運ぶまでが一連の作業だ。
改めてチャイルドシートを見てみると随分と小さくなってしまったように思える。子供の成長速度に対し、私の認識が追いつかずサイズ感覚が狂っているのだ。
なんなら私もこの小さなチャイルドシートに乗ってみたい。もちろん物理的にも法的にも不可能なのだが、子供たちの目線で子供たちが見ていた風景を私も見てみたい。
記憶とは不思議なものだ。今現在がひとたび過ぎ去ってしまえば全てが束の間の夢と思えるほどに圧縮され、大脳皮質という記憶媒体の中に情報して保管される。その情報を記憶として展開する装置がチャイルドシートというわけだ。
私たちは記憶を忘れることはない。ただ思い出せないだけだ。
もうしばらくチャイルドシートはつけたまま、今現在という時間の流れの中を走り続けようと思う。次男が私の乗る自転車から降りるその時まで。