どこら辺に視線をむけて生きていくか
学生だった時、
日々の授業、教室の中の人間関係、部活
高校、大学、その先の先の選択
学校を卒業して就きたい職業があり、就職浪人していた時
その職業、その仕事、資格
運よくつきたい職業に就職できたあと
仕事、その関係の人との関係
と大雑把に書けばそうなる
仕事について、日々の近い人との関係にものすごく悩んで
本当に何度もやめようと思ったけど、仕事内容に集中したり、
なんのために就職活動や資格勉強頑張ったのかと
目立たないけど自分では大事に思っている一人ひとりとの時間に集中してきた。
けれど、近くにいる職場の人の関係に振り回され、
私やその人にごく近い配偶者の人は心無い言葉を言われ続けていることを
そのほかの人はきっとわかっていないけど
仕事ができるいい人という面が周りの認識であることに消耗している日々。
ある朝、目が早く覚めて、日課の瞑想を本当にゆっくりできた。
すると、その時、自分が自分のことをジャッジしていることがどれだけ占めているかとふと思った。
自分にダメとか足りないとかそういう思考があり、加えて毎日のあらゆる行動を職場の人からそれはどうなのかと聞かれたり判断されて植え付けられてることにたどり着いた。
自分の行動や気持ち考えを判断して改善していくという思考は必要かもしれない。
でも、もういいかなと。
その瞑想のYouTubeで浮かんできたものは現象としてとらえる
という話があり。なるほどーと思った。
そうみればいいんだ。いい悪いとかこれがどうしてこうなのかとかではなく
浮かんできた現象と思う
すごくすっきりした
そして、仕事へ行きいつものようにいろいろ言われ
一人になったとき
私、そもそもこの仕事したいって思ったのは、こういうことに感動したのが理由だった
大学・大学院で出会った恩師の先生方のこういう感じに感動したんだ
となんか浮かんできて。
あ、私は近くにいる人から言うことややってることを目指したり比べたりする必要ないんだ。
私が目指そうとおもっていたのはここだった。
と見る先を思い出した。
12年くらいかかりましたけど笑。
今の職場や仕事を続けるかどうかは別として
見る先がわかった、こういうことを目指していきたいんだった
と思いだせただけで。どういうところに私いても大丈夫だ。
この仕事じゃなきゃ、とかここの職場、この人に適応できないと駄目な人間になるんじゃみたいな考えがすーっと消えた。
そんなある日の出来事でした。
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