誰かが決定している : 日記
けいおん!
・昨晩は「けいおん!」「涼宮ハルヒの憂鬱」「魔法少女まどか☆マギカ」のアニメを一話ずつ見たあと、匿名ラジオの「#330 アニメでよくある『福引で当てた旅行に美少女の友人たちと行く俺』を実現するにはどうすればいいの?」を聴きながら眠った。
アニメに詳しくない上にどれも全く世代ではないため、「けいおん」「涼宮ハルヒ〜」「魔法少女〜」に登場する美少女たちのキャラデザやストーリーのテンポ感が新鮮に感じられ、アニメで描かれる空間そのものが面白かった。
・特に印象的だったのは涼宮ハルヒの主人公だ。台詞回しや性格の作り方が、初見のはずなのになぜか絶対に知っている、完璧なまでのやれやれ系主人公すぎて序盤から爆笑してしまった。これだよ……俺が求めていたテンションはこれなんだ……。
・ちなみに美少女アニメを観ている理由としては、毎晩聴いている匿名ラジオ(二人の三十代男性パーソナリティによるラジオ)での会話に出てくる2010年前後のアニメあるあるを理解したかったからだ。
・私は好きな人間への同化願望があるのかもしれない。
今はなんとなく、涼宮ハルヒを見て育った三十代男性として生きてみたいと思う。なぜなら匿名ラジオのあいつらが涼宮ハルヒを見て育った三十代男性だから……。
誰かが決定している
・なにか行動を起こすとき、自分の意思でそれを行うことと、自分自身の性質によって意図せずそうなってしまうこととのあいだにはどんな違いがあるのだろう。
・私は自分の性質をよく知悉しているほうと自認しており、自分の取る行動の理由をかなり細かいところまで言語化できる。
例えば私は上司からの注意を受ける際、一応謝罪した上で改めて自分が叱責される理由を上司に問い詰めるという癖がある。
こうした行動を取るのには大まかに分けて三つ理由がある。
ひとつ、これは一種の防御反応のようなもので、怒られるという行為を極度に恐れており、相手に加害されたようにさえ感じてしまうため、問い詰めるという形で反撃しているのだ。
ふたつめは、プライドが極端に高いせいで、自分の上の立場の人間が存在するとの事実がそもそも嫌であり、理論で問い詰めることによって上司という存在の概念を少なからず自分の膝元に屈服させようとする意図がある。
そして、そもそも自分が他人に対して滅多に怒らない性質であり、どうしても人になにか注意するときは注意というよりお願いをし、それにさえ異様なほど気を使うため、自分が気を使われない(普通に注意をされる)と腹が立つのである。
要するに反撃行為だ。
しかしながら注意を受けた際にこのような対応をすることには「その後若干ギスる」というデメリットもあるし、こうして言語化することで私の性格の最悪さが露見してしまう。
第一普段はどちらかというと人懐っこい人柄を演出しているため、(体感的に)窮地の私が急に雄弁を発揮すると「え……なに? なんで?」みたいな顔になってしまっているのだ、上司も。
そういうときって、おそらくは普通に謝っときゃあ済む話なのではあろう。しかし前述の通り私は極端にプライドが高く、そんな小器用な芸当などできたものではない。やらないからだ。
で、ここで気になるのが「できないからやらない」なのか「やらないし、そもそもできない」のどちらなのか、ということだ。
先の例で言うと、上司に怒られるときには一応頭の中に「問い詰める」「問い詰めない」の選択肢が二つ出ており、その上で敢えて「問い詰める」を選んでいる……と思っている。
だが実際のところ、その選択肢はただ出ているだけで、私は私の性質のために「問い詰める」以外を選択できないよう設定されているのだとしたら? その上での行為は果たして純に「意思」と呼べるのだろうか。意思以外の要素によって行動が決定されるのならば。
・私は単に自分の行為を過去として振り返ることで、あたかもそれが自分の完全なる意思制御のもとに発生した行為であると勘違いしているんじゃないだろうか。認識と、意思による行動を混同しているというか。
・では意思による行動とはなにか。彼自身の性質による必然の行為を意思による行動から排斥し、純に意思によるものではないとしたとき、一体なにを以て意思による行為を定義するのか。
・となると、仮に意思による行為を存在するものとすれば、性質と意思は不可分の関係を結ぶこととなる。そうでないと性質からなる意思による行動は成立しえないからだ。
・それとも、私が今度上司に理不尽に怒られ、それに納得できなかったとしても敢えて普通に謝ってみたら、それが私の性質を裏切った、私の意思による、私自身の行為となるということだろうか。
・絶ッッッ対☆嫌☆で〜〜〜〜す!!!!!