2020年3月11日、無印良品から、
引き続きメールを削除しながら、無印良品より、御手紙について、
印刷された文字、というものはある程度の整理整頓が視覚的に行われていて読み易い、文藝春秋上で村上春樹が書いていた安原顯について、作家の生原稿を売買していた、それだけ安原顯は生活に困っていた、という内容であるが、やはり、憎しみや激情だけでなく、村上春樹さんは書き手なんだなと感心する整理整頓がなされた文章だった、
よしもとばななのブログにて、墓を暴かれる感じ、とだった記憶があるけれど、出版不況というのか、マリクレール、バブル、そんな時代の波に乗る人達はそういうもんなんだろうと思う、
先輩面して大失敗、とcoccoが桜坂でイヴェンとしてた記憶、誰しも先輩ヅラをしたいのであるけれども、大方大失敗する。
村上さんは安原顯に育てられた感触はないらしく、作中にあれこれ口を挟まれた事も無いとの事、スーパー編集者は安原顯に憧れていたりもするらしいし、それなりに効能は感じる、というバナナさん、、、作家のことをフォローアーするのか、事務処理をするのか、事務処理だけでも出来る人と出来ない人も居る、多分編集する、という才能だけの世界なんだろうけれど、
文芸の書き手はさておき、印刷していようがされていまいが、マジ書きの手紙しか書けない私は、誤字脱字は当たり前になって居るので、多分アボガドなのかアボガトなのかそういう警察の監視の目に晒されるのであろう、
肉筆の面白さ、というものはその人の脳内にて伝えたい事を整理整頓して、それを肉体を駆使して写生する行為、沖展にて会員になったばかりの人の講評、筆が滑りすぎて居る新里さん、、、その織物しまくってクソババアになった更年期障害の女の生き様が垣間見えて良かった、言いたい事を整理して居るつもりが整理できてなくって、言いたいことは沢山有るんだけど、文字数に制限がある、本当に私が書いていいのかしらん、批判されるよね、私も昔大御所作家に対して殺意を抱いていたし、私がやり返す番、そんな様々な思いが交錯して居る、気がする、それを楽しんで仕舞う。志村ふくみとは全く違う世界です。
人間が汚すとか言ってられない、肉筆の校正をしていない、もしかしたら構成すらたどり着けていない御手紙には魂の純度を感じる、なので捨てる訳にはいかない、後々ヤフオクやメルカリで売れる筈、そんな下衆な事を思い起こしつつ、御手紙は大切、
秋元康が林真理子の手紙を、御礼の返事が来るのだけど、間違ったと所を塗り潰した状況で来る、林真理子の情熱大陸を思い出す、、、まんねんしつ←誤字です、ではなくサインペンで書いて居る、という肉筆に感激、、、、筆圧が強いから疲れるとかだった筈、江國香織はシャーペン、安部公房はワープロに移行、
とか、書くものって素敵じゃ無いですか、全身全霊をかけて恥を晒す、
終わり。執筆時間2時間あまり。長い、