2020年2月29日、noteのdmから、
引き続きメールを削除しながら、noteのdmから、コロナウイルス対策について、
よく、祭事をしても人が集まらない、集客で悩む、と言う事が挙げられる、このtiクラフトの平良勇が言うには個店する為には人を集めないといけない、どんなやって人を集めるか、売り方を考えないといけない、ネットやらないといけない、ユーチューバーはやりたくない、人のもの見るのはいいけど、ヘタクソだから作業風景は見せられない、高い値段つけて売るのは売りにくい、大きな作品が作りたい、島変木とは喧嘩して木と漆の会辞めた、とかあれの企画流催事には出たくない、サンエーはタルゴや泉川由美子が仕切り出してから出てない、森永さんの作風が気に入らない、伊禮兄弟の作風は贅沢な作りだけど重いし兄弟でやってるから出来るのであり年取ったらきついはず、等等批評精神に満ち溢れたお話であったが、忙しいと言ったり暇って言ったり、チンプンカンプンでもあった、作家のプライドがそうさせるのであろうが、頑固さは時として柔軟性を失ってしまう、私はそうはなりたくはないのです。人の作風にまで口を挟むとキリがないし、、、島変木とは喧嘩したから出れない、南城市クラフトフェアは敵がいないから出るとか、、、役員に入ってアレは作風がダメだから出すな、態度がデカイから出すな、って言いに行こうと思っている、ってアンタ、、、アトリエピピの旦那はセコいから私も嫌いです。
ごめんね平良さん、でもこうするしかなかったの、口は災いの元、
さて、沖縄県内の祭事も中止が発表されて要る最中、椎名林檎はライヴを決行し、参加に敵わない方々には払い戻しを、と言うニュースが流れ、相変わらずトップクラス〜って感じ、東京事変は確か閏年にしか活動しないとの事で、、、うるう年に活躍する、、、時点でこの企画誰が考えたんだろう、、、と凄みに圧倒されるんだけど、東京事変は祭事をやるべきである、だって私はいましか知らない、んでしょ!?
さてノートでは中止されたコロナウイルス関連の催事に代わるであろうネット配信、企画者が考えそうな事、を助長する機能を強化するらしく、日頃ネット配信もしないといけない、けれど、手が回らない、やり方がを覚えるのが面倒、ユーチューブで他人の動画は見るけど自分の手の内を見せるのは恥ずかしい、罵倒されて批判されて傷つくのが嫌、と言う作家だけではなく、企画者をネットの海に放り込む良い機会であると受け捉えさせてくれた、
発想やアイディアの転換は大事、と広告物等で大量に頻繁に定期的にしかも循環的に行われて要るけれど、怠け者私達は其れを恐れてやらない、
北谷ジャスコのパンドラの田中、に罵倒されたわたし、そこらへんの材料でなんか作って売りやがって!よくそんな勇気あるなぁ!私はなぁ〜キジョカの野村陽子新里瞳と連れ立って芭蕉布会館迄ちゃんといいもの作って要る人のところまで見に行って要るんだよ!。と上から目線の説教ババアに付き合わされストレス!。
自分の名前を打ち出してものを作り売る、と言う事はせず人のことばかり批判する更年期のヒステリックババア、
支離滅裂、カシゴーマイでゴーグチゴーグチ、ゴーヨンゴーヨンdeアヤノナ〜カ、チビリグーマでちびりsousou、souみたいな、
さて、物事を伝える、と言う行為は難しく、その方法は多種多様、その中の一つのユーチューブという世界、動画配信はもうネットタトゥと呼ばれ、逃げも隠れも出来ない、誰かが記録してて残る、広める為に炎上したりする事を恐れてはいけないし、2ちゃんではなく5ちゃん、
コロナウイルスのおかげでネットの海に出る事が出来たならば、人のものを見て批判するではなく、今度はされる側に回る、したりされたりして伸びる事はないのだけど、ダァ見てみよう、お前のここがダメなんだ、と言うのはストレス発散で自分の名前を晒して叩かれるのは気を悪くすると言うのが人間の性、ならばコロナウイルスにかかって死んだほうがマシ、と思う人もいるのだあろうが、じゃ死ぬ前にヤレバ、というわたしの中の悪魔心が囁いている、
終わり、執筆時間2時間あまり。だなんてね!ネット配信は大切です、その為に少しでも見た目をよくすると売上につながるし、ヘタクソでも良いじゃない、命削って作っている姿、確か福田和也が新潮新人賞の言葉に、舞台というもんは才能を滅ばせるもので、わたしはソレを惜しいとは思わない、って書いてたし、桐野夏生は、文章が滅法上手いのは良い事だけど、わたしはその人がしか書けない世界が見たい、との事、そうその人がしか出来ない世界、と言うもの出ないと、合板で量産されて使い易くブランドもちゃんとしているカリモクで買ったほうが良いのです。