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「Yシャツ」(番外編17:後編)
それから父の買ってくれたYシャツはもったいなくて着れないままで、
私は前から持っていた二枚のYシャツを、洗濯しては着ていました。洗濯もアイロンも自分でしていたので、それらはすぐにくたびれて行きました。
やがて少し暑くなり始めた頃、就職情報紙で見つけたある会社に、私は面接を受けに行く事にしました。それは出来たばかりの小さな広告代理店で、
全くの未経験者からでも構わないというコピーライターの募集でした。もちろん、契約社員でもアルバイトでもなく、正社員です。
ついでに服装も会社の中では私服で良いという条件が、私の心をときめかせました。いつか、もしできれば女性として働けたら、なんて勝手な想像までしたものです。
私は電話で面接の予約をし、ちょうど他のYシャツも洗濯が乾いてなかったこともあり、初めて父の買ってくれたYシャツを着ていくことにしました。それだけ私は今回の面接にかけていたのです。
面接の当日は更に暑くなった日でしたが、私はずいぶんと早めに用意をして、電車やバスだとかえって何かあるかもしれないと、私はスーツに自転車で出かけました。
閑静な住宅街の中にあるその会社は、小さいながらもきちんとしていて雰囲気も良い感じ。控え室で順番を待っていた私は、やがて名前を呼ばれて面接が始まりました。
面接の相手は二人の男性で、一人は社員さんでしたが、もう一人は社長さんだと言うことで多少びっくりしましたが、面接は概ね和やかに進み、社長さんは私を気に入ってくれたようでした。もちろん、今考えればそれも社交辞令だったのかも知れませんが、社長さんはその後の仕事や関連する分野の勉強のこと、現在の会社の取引先とか、他の応募者のことまで私に話してくれたのです。
私は期待で胸が一杯になりながら、晴れやかに帰途につきました。暑さと緊張で汗びっしょりになったYシャツを脱いで、夜には珍しく自分から実家に電話をかけ、母と話もしました。
弾んだ声で話す私に、母は喜んでくれているようでした。以前の一度目のカミングアウトのことなど、もう彼女は忘れていたのかも知れません。私も話しているうちに、更に就職への期待は高まっていました。
次の日、私は父の買ってくれたYシャツを近くのクリーニング店に出しました。値段的に、さすがに自分で洗うことなど思いもしませんでした。
それから二日か三日して、クリーニング店から電話がありました。その内容は普通に、「クリーニングが出来上がったので取りに来てください」程度だったと思います。
そこでクリーニング店に行ってみると、「クリーニングの途中でタグが外れたらしいんです。すいませんが、ご自分で探して下さい」と、店員の女性はこう言いましたそして彼女は30枚くらいのYシャツがかけてあるハンガーを指差しました。
そして彼女は平然と次のお客さんの対応を始めてしまい、私はお店のカウンターを一歩入った所のハンガーの前で立ち尽くしてしまいました。
果して私は、まだ一度しか着てない自分のYシャツを選べたのでしょうか?もちろん、私より先に引き取りに来たお客も、私のYシャツを間違って持って帰ってなかったのでしょうか?
一週間後、面接の結果が電話で知らされて来ました。もちろん(?)、残念ながら不合格でした。
私はYシャツのことも、不合格のことも両親には話せませんでした。