読書するということについて
この写真のように、ベランダでコーヒー片手に読書って、憧れますよねぇ!
なかなか、そんなシチュエーションにはなりませんが、わたしも、それなりに本は読む方でして、自分の中では、大きくわけて読み方には2通りあるのかなと思っています。
1つ目は、精読。
2つ目は、つながりの読書。
2つ目の読書については、自分ではなんとなく言語化できていなかったのですが、以前、「60分で4冊読もう!」というイベントに参加した後、他の全く別のセミナーに参加しているときに、ふと、自分の中で言語化できたので、まとめておこうと思います。
「60分で4冊読もう!」のイベントで行った方法は、
1.目次、表紙、裏表紙、はじめに、後書き(2分)
2.本全体をパラパラ読む
3.キーワード、質問の書き出し
4.気になったところを読書(スタンスは自由)
5.マインドマップにまとめる
6.4冊分のマインドマップを見比べて、共通点などを書き出す
という流れだったと思うのですが、個人的には、4冊を読むというところがポイントでした。つながった感じがしたのです。
フォトリーディングという手法やスキャニングといった速読の手法とも似ているとは思いますが、4冊読んだ内容を再度その場でつなげなおしするということは、今回初めての経験でした。
今回の読み方のコツとしては、
1.その本の中身のつながり
2.その著者の作品全体の中でのその本のつながり
3.自分の持っている全ての本の中に対するその本のつながり
について、3つのつながりを意識すると良いのかなと。
そもそも、わたしの場合は、次から次へと本は増えてしまう傾向にあるので、いわゆる積読本も多数あるわけです。
その中で精読できる本も限られているわけですが、その精読本ですら、内容の9割は忘れているんですよね。
では、逆の発想で、覚えている1割だけを最初から読めばよくねぇ?ってなりませんか?
「60分で4冊読もう!」と思ったら、最初から1割ぐらいしか読めないわけですが、その読んだ1割が自分にとって、必要な箇所であれば良いわけです。
さて、その読んだ1割は、自分にとって必要な箇所なのか?
ということが問題になるのですが、こんなことを聞いたことはありませんか?
その時必要な答えは偶然読んだ本の中にある
※その時のわたしに必要な答えという意味。1年後のわたしには、違うページが答えになることも当然あります。
これ、なぜだかわかります?
ソシュールという哲学者は、新しい言語学を開発するために研究していたのですが、ある日、こんなことを言いました。
「言語とは区別のシステムである」と。
さらに、ソシュールはこう言いました。
「区別する価値があるから、対応する言語が発生した」と。
認識論でも出てきますが、わたしたちは、「モノがまず先にあり、わたしたちは、そのモノを認識している」という、それ以外ありえるの?と思うぐらい、あたりまえの感覚を持っています。
それを言語として置き換えると、「そこにモノが(先に)あるから、そのモノに対応する言語が発生した」となります。
もう少しわかりやすく言うと、日本語では、「蝶」と「蛾」を区別しますよね。
しかし、フランスでは、papillon(パピヨン)と1つの言葉で表現されていて、「蝶」と「蛾」を区別していないんです。
「姉」と「妹」も日本では区別されているが、英語圏では、「sister」で一括りにされているようにです。
これが、読書と何の関係があるのかということですが、ソシュールの考えをもう少し発展させます。
例えば、わたしの思う「赤色」と、あなたの思う「赤色」が同じではないように、それぞれの区別する価値は、人それぞれ違うはずだとすると、わたしの見ている「世界」とあなたの見ている「世界」は、本当に同じものなんだろうか?という疑問が湧くことになります。
人間同士でわかりにくければ、「人間」対「他の人間的な生き物(宇宙人とか)」で考えてもいいでしょう。
「人間」の世界では、リンゴという果物は当たり前にありますが、それはリンゴという言葉があるからに過ぎません。宇宙人がリンゴという言葉を持ち合わせていなかったら、リンゴは存在しないということと同じことになります。
つまりは、わたしは、あなたとは違う自分固有の価値観で「世界」を見ていることになるということになります。
その「世界」に存在するものはすべて、その人固有の価値で切り出された存在ということであり、そこで、ようやく、読書との関係に移ります。
ある本を読んでいるとき、わたしはある本を読んでいるわけではなく、どこまで深く読み込んだとしても、それはある本自体ではなく、わたしの中の世界の中で再構築された「ある本的なるもの」を読んでいるに過ぎないということになります。
それは、つまり、わたし固有の価値観の中にある「ある本的なるもの」なので、いまここにいる自分の世界が反映されているに過ぎないのです。
このことを利用すると、こういうことにも使えてきます。
神社参拝が好きな方は、「おみくじ」をひきませんか?
「おみくじ」をひくときに、
・これから行おうとしていること
・いま行っていることの状況報告
・今後についてどういう方向で行動すればいいか
などの質問を投げかけてから、「おみくじ」をひいてみてください。
その時必要な答えは偶然ひいたおみくじの中にある
ということでもあるのです。
ということで、こういう考え方もあるというぐらいで考えてもらえばいいかなと思います。なんだかんだ言っても、やっぱり読書は楽しまなきゃって思うので、これからも読書を楽しんでいきましょうね!