許すって難しいかも
在り方革命013☆
ご質問を頂きました。自分も相手もその場も呑みこむとは、相手を受け入れるのとは、違うのでしょうか?
🌿 🌿 🌿
「自分と相手が、独立したままじゃな」
『え。どういうことですか?』
「受け入れる側と受け入れられる側」
『ああそうか。別々の存在ですね』
「自分も相手も、その場も呑み込むとはな、自分の意識が広がっていくことじゃ」
『意識を広げる。うーん。なんか難しいですね。自分ってやっぱ、この肉体の中ですよ』
「海の波。一つずつの波頭。それが自分と相手。海面で別々。深く潜れば同じ海の水」
🌊 🌊 🌊
『思いや考えは独立しても、無限に広がる領域へ入れば、一つってことですか?』
「自分の境界が溶ける。中心から滔々と溢れる真白き光の流れ。精妙に打ち震える波動のきらめき。迸る量子のエネルギー」
『賢者さま、今日はやけに詩的ですが』
「あはは~ガラでもないかの」
『いえいえ、素晴らしいですよ』
「本当の自分、つまり意識という存在はな、脳の中に閉じ籠もっておらのんじゃ」
✴ ✴ ✴
『うーん。想像できません』
「スマホに譬えよう。SNSが無限の意識で脳はスマホ。在り方がOS。在り方を見直せば、脳の情報処理=アプリは変わってしまう」
『自分って、この体この経験このアタマとしか、考えなかったです。無限に広がる?』
「風を感じたら自分は風。宇宙を思えば宇宙が自分。神を感じるなら自分は神じゃ」
🌅 🌅 🌅
『ちょっと、ついていけません』
「慣れておらんからな」
『慣れそうもないですけど』
「昨日の夜、何を食べたかね」
『え。カレーですよ?』
「食べとる自分を、思い出してみるとよい。どうじゃ。自分の姿が外から見える。まるで映画でも見とるみたいにな」
『あれ。なんでだ?』
「意識は自由自在だからじゃよ」
『おもしれ~これって幽体離脱!』
🎦 🎦 🎦
「ゆるめるだけでよい。ゆるめれば元の意識へ還っていく。ゆるす、とはゆるめること」
『許すって、相手を認めたり受け入れたり、肯定したり共感したりってことでは?』
「ムリ。別々の人間でいるうちはな。ただ波頭はあってよい。それで疲れたら、心の海へ潜って休めばよいのじゃ」
『おやすみなさ~い(^^♪』