わたしたちはフィクションを愛する~デ・キリコ展~
神戸市立博物館で開催中の【デ・キリコ展】に行ってきました。
いつか行こう行こうと思いつつタイミングを見計らっていたデ・キリコ展。やっと訪れることができました。

わたしのデ・キリコの不思議な絵画との出合いは物心ついた頃。
父の本棚の画集を(何故か自由に見ることが許されていた)開いて見たとき。
とくにわたしが好きなのはエルンストやダリの絵が載ったシュルレアリズムの画集だったのだけれど、そのあたりにデ・キリコの絵もあったように思う。
顔のないマヌカンや異国の景色。コラージュのような絵の構成。
熱にうなされて見た夢のような平衡感覚を失う感じ。
その不安定さが「また見たい」と画集を開かせた。
一度見たら忘れられない絵のインパクトは強かったのだけど、
デ・キリコが画家としてどのような人なのかは全く知らなかった。
(あとでネットで調べるとかなりの頑固者で他の画家たちに対しても辛辣な言葉を浴びせる人だったようだ)
展示のしょっぱなからコスプレか?と思うほど派手な衣装を纏った自画像を見て、自己顕示欲の強そうな人だなぁと思った第一印象。
そして有名な「イタリア広場」
デ・キリコがイタリア広場で「始めてその景色を見たような感覚になった」ことから、繰り返しその景色が描かれていったそうなのだけど、
それって「神秘体験だったんだろうなぁ」と直観した。
今まで生きてきて「そういうものだ」と認知してきたことが
「まるで違っていた」と感じられる。
そんな異次元体験をしたのだろうと想像した。
そして「その感じをどうにかして再現したい」と、
そんな欲求があったのではないかと思う。
彼の作品を追ううちに作風が変化して行くのも興味深かった。
自分の片割れのように愛していた弟との関係性が絵に反映されているように見えたし、彼の立体造形は金属であるにも関わらず
今にも溶けてしまいそうなアイスクリームに見えた。

デ・キリコの言葉をメモしたのだけれど、
「舞台ではしばしの間全く違う生を生きる」
「人生のうちで劇場に連れていかれて美しい芝居を見た一日ほど強い印象を残すものは殆どない」
という言葉を残している。
彼は子どもの頃から舞台を見るのが好きだったらしい。
第一印象の「自己顕示欲強そう!」と感じた初見の自画像は、
彼が「非日常」を求めた結果なのかもしれないと見方が変わった。
そして、彼は
「わたしたちは真実で無いものを愛する」
「わたしたちはフィクションを愛する」
とも言っている。

「真実ではないもの」と言ってはいるけれど、
そこにこそデ・キリコは「真実の感覚」を求めたのじゃないかな、と思う。
歳を重ねてもデ・キリコは、進歩へのあくなき渇望を持ち続けたそうだ。
御年90歳まで。

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*アップした絵画たちは撮影OKと表示されていました。
追記)デ・キリコの作品でアートマインドコーチング
(対話型絵画鑑賞)が出来たら面白いだろうなぁ~と垂涎ものでした💧