小説のあらすじについて
エンタメ系の新人賞などで求められる「あらすじ」。これがなかなか書けないひとがいるかと思います。今回はその「あらすじ」に関していろいろと書いてみました。
最近、小説のあらすじの添付が必要な賞に「応募」しました。久々のことでしたが、わりと難なく書けました。「応募」した後、ふと「昔はあらすじを書くのが苦手だったなあ」 と思い出しました。
純文学の新人賞であらすじの添付が求められている作品はごく少数です。純文学は短編小説や150枚~200枚以内の中編小説がメインですので、あえてあらすじを書く必要がないからだと思います。
一方、エンタメ系の新人賞ではあらすじが求められることが多いです。200枚以上の長編小説が主流ですので、読書の手引きが必要になるのでしょう。ただ、オール讀物新人賞は50~80枚の短編ですが、これにもあらすじが求められているようです。
前述の通り、私はあらすじを書くのが苦手でした。自分で書いた小説をいちから説明するのが面倒だったことも相まって、なかなか上手く書けませんでした。
その理由について考えたのですが、答えは意外と簡単に見つかりました。 結末を決めないまま小説を書き始め、そして書き終えていたからです。
昔の私は小説の筋を考えることなく小説を書いていたのです。書いていけばそのうち結末にまでたどり着くだろう、と思っていました。これでは、あらすじ(粗筋)が書けないのは当然です。そもそも筋を考えていなかったわけですから。
小説はあらすじを考えなくてもある程度は書けるものです。一つの場面を思い浮かべて文章を書けば、原稿用紙20枚分ぐらいはスラスラ書けます。そこから少し悩んで、次のシーンで15枚、その次のシーンで15枚と。私の場合は160枚ぐらいまでは書けます。なにも考えなくても。
でも、それだと構造的に面白くならないんですよね。
手当たり次第に書くと、書くだけでいっぱいいっぱいになります。やがて書き切ることだけが目標になります。話が盛り上がりを見せなくとも、お構いなしに。その結果、あらすじをまとめたら劇的につまらない小説ができてしまうのです。
小説の創作には企まなければできないことがいっぱいあって、それが小説を面白くさせるんです。登場人物同士の対立とか、伏線を張ったり回収したりとか、メインプロットとサブプロットのからまりとか。 思いつきで書いているとそんなところに気が回らないんですよね。
いまは本編に取りかかる前に大方のあらすじを書いています。最初から最後まで。書いている途中でラストが変わることもありますが、とりあえずは書きます。そうしなければ、どこで何をどう企むのかを決めることはできませんからね。
先にあらすじを作っておけば、応募用のあらすじを簡単に書くことができます。何を書くべきかはほとんど決まっているので、文字数に合わせて取捨選択するだけです。これだとあらすじの作成は苦になりません。
最初のほうで、あらすじのことを「読書の手引き」を書きました。新人賞の応募原稿は読み手にとっては誰のものとも分からない作品にすぎません。それを数十人単位で読むわけですから、読み手にとってあらすじが必要なのは想像がつきます。あらすじを先に書けば読み手のほうを考える余裕も生まれます。
あらすじは本編ではないので、書けなくなると「なんでこんなものを書かなくてはいけないのか」と言い訳じみた不満をこぼしたくもなります。それでは読み手にも書き手にも配慮を欠いたあらすじが生まれてもおかしくありません。それが本編にも影響を与えたら、書き手は自分の首を絞めていることになります。
あらすじを本編制作後の課題ではなく、本編制作に必要不可欠なものにすることで、そうした「オウンゴール」を減らすようにできればいいのではないかと私は思っています。
ちょっと上手く書けませんでしたが、ここで終わりにします。