2024年1月を振り返って
気がつけば今年も1か月が過ぎようとしている。早いものだ。
月並みな表現だが、1年の1/12が過ぎ、あの大きな揺れからも1か月。
1月1日はここ2年ほどは寝正月を決め込んでいる。この仕事を始めてからは、ありがたいことに年末が最大の繁忙期ということで、31日まで思いっきり働かせてもらうのが恒例だ。1日にいかに気持ちよくダラけることができるか、をテーマに、31日の終業まで体力を使い果たすことに集中して追い込むことを楽しんでいる。
2023年12月の振り返り
2023年は仕事の面ではあまり良い年とは言えなかった。蟹の水揚げは昨年までの半分もあっただろうか。商品が足りず、お客さんの要望にお断りすることが仕事の大半を占めるような日もあった。最早、生業として続けることがどうなのか、問い直す必要を感じるタイミングも多々あった。その問題は今も解決してはいないのだけど、例年通り、来店くださるお客さんたちのおかげで、遠方からご注文くださるお客さんたちのおかげで、忙しく楽しい追い込みの年末を過ごすことができて、とても幸せな締めくくりをさせてもらった。
2024年1月1日の出来事
そして例年の如く、31日は帰宅後気持ちの良い疲労感と共に眠り、1日は昼頃にやっとベッドから出て、家族で食事をして、おやつを食べ、コーヒーを飲み、気が向いたタイミングで週1で通っている専門学校の課題をこなし…もちろん着替えもせずメイクもせず、初詣にも行かない最高にだらしないお正月を満喫していた。
部屋で1人学校の課題をしていた頃、横揺れを感じた。ここ1〜2年頻発していただけに、また能登半島が揺れたんだろうなぁくらいに思い、今回もスマートにスルーしてやるぜ、と思っていたところ、どんどん大きくなる揺れとテーブルの上で溢れ始めるコーヒーに、あぁこれ本当のじゃん、と遅ればせながら気がつくことになった。
避難所へ
海沿い生まれ海沿い育ちとしては、周囲の人間も含めて東日本以来、津波には敏感になっていた。地震=津波と連想するもので、避難所に行くことを想定してリビングに行き、これって逃げた方がいい?と家族で会話しながら、とりあえずテレビでNHKを付けた。津波警報が出たら家を出よう、という約束で、各々防寒着を着たり、貴重品を持ったり、誰かが車のエンジンをかけに行ってくれたり、結構みんな冷静なもので、家族で避難所に向かった。
母は車で3分のところにある実家に住む祖母を迎えに別行動をとり、避難所で待ち合わせることにした。
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