クイズ王にならなくていいから、答えのないクイズに立ち向かえる人になってほしい。
「もんだいです。リモコンのボタンを一気に押すとどうなるでしょうか?」
昼寝をしようとウトウトとしていた昼下がり、3歳の娘がいきなりクイズを出してきた。しかも、脈略もなく。
え…それは…偶然接続されたチャンネルがテレビに映るのではなかろうか?それとも、何も反応しないのか?…そういえば昔、リモコンのボタンを一気に押して遊んだことがあったな…その時は、いきなり音量が上がって怒られた記憶があるが…。それにしても、よくわからないクイズ。
唐突ではあるものの、愛娘が出してくれた初めての難問。親として真剣に答えねばと頭をひねらせていると、
「せいかいはー、おうちに帰るのですー!」
聞いてもないのに勝手に答えを言われてしまった。しかも意味不明だ。
リモコンのチャンネルを全部押すと、おうちに帰る?どういうことだ?
「ほら、みてごらんよ」
娘がリビングからAmazonのファイヤースティックを持ってくる。
ああ、こっちのリモコンか。しかも、おうちに帰るって指差してるのは「ホームボタン」。ああ、そっちの「ホーム」か。
確かに、娘のこんもりとした小さな手のひらでリモコンを押した場合に、ホームボタンが押される確率はとても高そうだ。と思ったが、そうではなかった。そんなのは、頭の固い大人の発想だ。
彼女はそういうことを言っているのではなくて、単純に頭のなかのファンタジーとして、リモコンのボタンを全部押したら家に帰るという物語を、ふと閃いたようだった。そしてそれを、いきなりクイズという形で私に共有してくれたのである。子どもの想像力って、予想の斜め上をいく豊かさがあるな、とつくづく感動する。そして、その豊かさを過去のものとして感じてる自分に、心底愕然とする。私はいつ、その創造性を人生の道端に落としてきたのだろうか。
最近、「クイズ王」みたいな番組が流行っているが、答えのあるクイズなんて簡単だな、とつくづく思う。コロナ対策にたったひとつの答えがないように、この世の中は答えのないクイズだらけだ。結局、答えのないクイズに自分なりの答えを見出そうと、頭を掻いて、もがいていくプロセスでしか人生は歩んでいけないんだから、だったら初めっから答えのあるクイズに答える能力なんて必要ない。むしろ「何が自分の人生におけるクイズ(問い)なのか?」を見出す力をつけた方が、よっぽどこれからの社会を生きていく武器になるんだろう。
小さな子どもたちが、豊かな、そして答えのないクイズをこれからもずっと繰り出し続けられるように、彼らの創造性を守るガーディアンでいたいなと心底願う。