夢破れたパンツで崖を登りたい
30歳も過ぎれば、一握りの人を除いて
、
幼い頃の夢はもう、破れている。
ライターとして芸能人に取材して華やかな世界?
そんな人は一握り。
コックになって料理本を出す?
そんな人も一握り。
オリンピック選手?
考えなくてもわかること。
でも、その破れた夢を捨てきれずに、
なんなら破れた夢のパンツを履いて、
それでもなんだかんだ、生活して、
お金稼いで育児して介護して、
ほころびを繕いながら、
大抵の人は生きているのだと思う。
でもいつかは夢が叶うかもなどという、
半ば幻想にも似たフレーズに希望を覚え、
破れた夢を捨てきれない。
「諦めが悪い」という性質が
どうして人間にはあるのだろう。
破れた夢も何か意味があるはずだ。
破れただけじゃ終わらせないぞ。
そうした気持ちを秘めながら、
毎日せっせと前に進む。
そんな諦めの悪い、地道な生活にだって、
ちゃんと光が当たるんだと、
私は信じて生きていたい。
宝くじに当たるよう祈るような、
途方も無い願いだと知っていても。
私が住み着いた土地は、
世界的なロッククライミングの聖地。
安全マットを背負ったクライマーが、
誰に頼まれたわけでも無い
、
ただ崖を登るためだけに
、
自分を満足させるためだけに、
世界中から集まっている。
その姿を見ていると
、
自分を満足させる潔さ、強さを感じる。
誰に評価されるわけでもなく、自分の命さえかけて崖に登る。
ただ頂上に立って、最高な景色を見るだけのために。
その姿を無難なハイキングロードから見ているだけの私が、
とても小さく見えて、胸がドキドキした、今日の備忘録。
本音を言おう。
私はハイキングロードから抜け出したいのだろうと思う。
そのやり方はまだ、わからない。
それでも、私だけが見ることのできる景色を、
破れた夢のパンツを履いて、見にいきたいのだ。
私はこの春、崖を登ろうと思う。