愛は巡り、人は強くなる。
1. 宇宙船に届いた支援物資
2020年春。
東京のマンションで2歳の娘と2ヶ月家に篭りっきり、まるで宇宙船で生活する飛行士のような気持ちになっていた頃、岐阜県郡上市に住む友達 Sちゃんから届く小包が楽しみだった。小包のなかには、その時々に取れたばかりの里山の恵みがどっさり入っていた。綺麗に泥や茎が落とされた山菜やミョウガ、赤紫蘇やらが丁寧に新聞紙で包まれ、少しばかりSちゃんが好みのお菓子が入っていたりする。この時世でやさぐれた気持ちに、温かい心遣いが染み渡り、玄関でダンボールを抱えて泣いた日もあった。
後々、それらの山菜のいくつかは、かよこさんの畑で採れたものだとSちゃんが教えてくれた。こんなにもたくさんの山の恵みを周りに与えている”かよこさん”という人は、一体どんな人だろう…。にっこり笑った、肝っ玉かあちゃんのような女性が手を振っている姿を心に浮かべながら、私は東京のマンションの食卓で山の恵みをいただいたのだった。
そのうち、「外へ出られるようになったら、この贈り物をくれた二人の顔を見てお礼を言いたい」と思うようになった。幼子とふたり、家に閉じこもって今にも割れそうだった心が、あの小包でどれだけ救われたか。丁寧に包まれた山菜を手にとって感じる、深い優しさにどれだけ心の棘が解けたか。みずみずしく素朴な山の恵みを口に入れ、味わうことで、どれほど私の体が元気になったか。それをすべて、伝えたかった。
10月末、ようやくその日がやって来た。東京都外への宿泊旅行が公に許されるようになり、私は娘と二人、Sちゃんたちの住む郡上に1週間滞在することになったのだ。オンラインや手紙じゃ物足りない、会ってお礼を伝えなければという義務感にも似た気持ちを抱いていた。それに、私は来年1月に夫の待つアメリカへの引越っさなければいけない。コロナが冬にまた流行りそうなことを考えると、直接会えるチャンスは今しかなかった。
2. いざ、郡上へ
電車とバスを乗り継いでヒーヒーしたのは長くなるので違う機会に書くとして、右往左往しながら郡上の地にたどり着き、Sちゃんたちに直接会えたことは今年一番の出来事になった。かよこさんの営む 自然食泊 愛里 への訪問も叶い、私の2020年はもう終わってもいいとすら思えた。
愛里を訪れたのがちょうどお昼時だったので、みんなで特製ランチをいただいた。郡上で取れたばかりの新鮮な食材を使った料理は見た目にも美しく、素材の味がちゃんとして、優しく体に染み込んでいくような味わいがあった。好き嫌いのデパートのような娘があっという間にお椀を空にしたのにはびっくりしたし、全国各地に宿のファンがいるというのも納得の美味しさだった。
そして実際にお会いしたかよこさんは、想像通りの女性だった。若々しく、小柄な体にエネルギーが満ちた太陽のような女将だ。ちゃきちゃきと仕事をこなしつつ、余裕を感じさせる佇まい。この人がいるからこの場所があるのだ、と無言のうちに納得させるオーラがある。
お礼を言うとSちゃんは「そんなに喜んでもらえて、こっちこそ嬉しいよー」。かよこさんは「あのおすそ分けが東京まで行ってたとはねー、よかったねー」と、似たようなことを言って、にこにこ笑っていた。
なんだか、答え合わせをしたような気分だった。わかってはいたが彼女たちは「ありがとう」の有無など関係なく、与えてくれる人たちなのだ。貰ったこちらが「ありがとう」を言わないと気が済まなかったというだけで、きっと、彼女たちは何を言われなくとも「与える」ことを躊躇わない。相手の反応など気にせず、人に優しい視線を向ける人たちなのだ。
もっと言えば、自分の手を離れた瞬間、そのことを忘れているのではないかと思わせる大らかさがある。手放したら、そこで次のものごとへと意識を移す。何かに執着せず「今」に集中しているからこそ、人に「与える」ことができるのかもしれない。
3. かよこさんという女性
かよこさんのことを、もっと知りたくなった。強く、朗らかに生きる女性になるためのヒントを、私がアメリカに行った時、指針になるような言葉を、かよこさんが持っているような気がしたからだ。
優しいSちゃんが、子どもたちと外へ遊びに行ってくれ、かよこさんと私の時間を設けてくれる。「私の将来のためにも、かよこさんのことをもっと知りたいのです」と私が言うと「たいしたこと、答えられんと思うけどねえ。まあ食べて」とみかんを出す。どこまでも、気遣いの人だ。
かよこさんは人生のほぼ大半を、この岐阜県郡上市・明宝地区で暮らしてきた。この土地で育ち、4人の子どもたちを育てあげ、介護をし、親を看取り、カフェをオープンし、民宿をはじめた。郡上地区の女将さんの会を立ち上げ、山菜の採り方や料理法を教え、地域の食材を提供しようと旗をふりはじめたのもかよこさんだ。
「一人で店をはじめて40年。もともと店を始めたいと言ったのは公務員の夫だった。でも、子どもを養っていかにゃあいけんし安定した職を辞めてもらうわけにはいかないから、”じゃあ私がやります”って。スキーが大盛況でお客さんがここに泊まりたいっていうから、平成元年に自分の返せる分の借金をして宿を建ててね。夫には”あなた、ちゃんと定年まで仕事を頑張って”と言ってたのに、その一週間後に黙って公務員を辞めてきたりして。人生設計立てても、すぐに崩れたわ」
かよこさんがハハハと明るい声で笑う。「ほーんと、色々あったけど、まあ、なるようになるさ」
数々の困難を乗り越えて、懸命に生きてきた人の「なるようになるさ」という言葉ほど、重みのある言葉はない。彼女の波乱万丈の半生について知るほどに、その思いは強くなる。
4. 過酷な幼少期。身につけた生きる術
1歳を過ぎた頃に実父が結核で亡くなり、母が再婚。腹違いの兄と別れ、義理の家で暮らすことになったかよこさんは、壮絶な幼少期を過ごした。義理の家族からの風当たりが強く、小学校に入るか入らないかという頃から大人同様に朝から晩まで働かされる日々。5km先の学校まで通うことだけは許されたものの、学用品の代金は全て自分で稼ぎ、賄わなければならない。当然、友達と遊ぶ暇などなかった。
家族の食事を作らされるのに、食事時には家の外。まともなご飯を与えられたことはなく、時々、母がそっと持ってくるおにぎりや、夏には自分の家の畑のキュウリなのに盗んで食べて飢えをしのいだ。川から水を汲んでの湯沸かしは当たり前、大人の仕事である林業にすら駆り出され、見よう見まねで覚えていったという。うまくできないと棒で叩かれ、いつも身体は傷だらけ。何度も「家を出よう」と母に訴えるも、母は母で頑なに断る。その絶望は、母親への憎しみへと変わっていった。
ある時には、父親らしき人(とかよこさんは言った)に「くれぐれもお前は自分の子ではない」と告げられ、またある時には、親戚の一人がかよこさんを目掛けて山の上から大きな岩を落としてきたこともあったという。どれほど過酷な状況を生き抜いてきたのだろうか。
それでも「なんとしても生きていく」ために、かよこさんは料理を身につけ、より高く売れる良質な山菜の採り方を覚え、里山での暮らしにまつわるありとあらゆる術を習得していく。その身に染み付いた術が、今の生業の下地になっているのだから運命のいたずらというのは本当によくわからない。
18で結婚をした時、この地から離れたい一心で岐阜市に引っ越した。それでも、後継のいない義実家から戻ってきて欲しいと懇願される。そして「絶対に看るものか」と思っていた義理の家族や親の面倒を、かよこさんはちゃんと看るのである。その強さ、優しさはどこから湧き出るのだろうか。
5. 目に見えない父、その愛情
「それは、父親が守ったんだね、私を。」とかよこさんは言い、亡き父の若かりし頃の写真を見せてくれた。モノクロームの世界のなかで、優しそうな瞳をした青年が制服姿で佇んでいる。
かよこさんのお父さんは生前、たいそう女の子を欲しがっていたのだという。僧侶として満州に渡り、修羅をくぐり抜けて日本に帰り、やっと授かった女の子がかよこさんだったのだ。しかし、ずっと待ち望んでいた我が子を抱けるという頃になって、死の病として恐れられていた結核に倒れてしまう。そうして、かよこさんが1歳の誕生日を迎える頃に帰らぬ人となってしまった。
写真でしか知らない父親の姿。それでも不思議なことに、生前の父の瞳を、かよこさんは今でもはっきりと覚えているのだという。
「物心ついた頃から、小さな障子の穴からそっと見つめている優しい瞳の記憶があったのよね。それである時、母親に尋いた。誰の瞳?って。そしたら、それはお父さんの瞳だよって。病床の父が私のことを抱きたくても抱けず、ずっと障子の穴から見てたんだって」
かよこさんのお母さんの夢にも父は現れた。そして「かよこのことは何があっても守るで、心配するな」と言ったそうだ。
かよこさんは、自分のことをお父さんが守っているのだと確信した数々の出来事を教えてくれた。ペースメーカーの電池が切れ、死を覚悟した時に偶然宿に宿泊していた有名病院の医師に見てもらえるようになったこと。さらには、その病院の検査のおかげでガンを早期発見できたこと。民宿を営む中で、どうやって経済をやりくりしようかと本当に困り果てた時、なぜか次の日には解決してしまっていたこと。そういうことが2度、3度と起き、銀行の人すら驚いていたこと…
「本当に大変な時に、するっと解決しちゃう。おっかしくてしょうがないけどさ、父親が守ってくれているんだろうね」
かよこさんは優しい目で遠くを見ている。
これを偶然だと笑うか、本当に守っているのだと信じるか、それは人それぞれだろう。しかし私は本当に、かよこさんのお父さんが守っているのだと信じた。何を隠そう、私もこの時、かよこさんのお父さんを感じたからだ。
かよこさんがお父さんのことを話し始めた時、レコーダーは動いていたはずなのに、聴いてみると何も録音されていなかった。それまでの会話はちゃんと録音されていたのに、お父さんのことを話し始めたところから無音が続くのである。ライターになって12年、今までに一度もこんなことは起きたことがない。不思議だなと思ったが「ちゃんと娘を守っているんだぞ」と天国のお父さんが伝えているような、そんな気がした。
目に見えても、たとえ見えなくとも、誰かに、何かに、自分は守られているという感覚。それは、真に人を強くする。かよこさんの生き様はまさに、それを教えてくれる。たとえ一瞬だとしても、深い愛の眼差しがその人の一生の支えになることがある。何人に愛されてるかとか、どれだけ長い時間愛されたとか、人生はそんな単純計算では測れない。一瞬が永遠になり、目に見えない力が目に見えて変化を生み出すこともある。科学が力を持ち、目に見えることであらゆることを図りたがる時代にあっても、結局のところ、愛の連鎖が人を支え、強くさせるのだろう。
別れる際、かよこさんはまた、おすそ分けをくださった。それは、まるっこく、ツヤツヤした渋柿だった。ちゃんと紐でくくりやすいように、枝のところが綺麗に切りそろえてある。ここらへんに、かよこさんという人の、愛の深さを感じる。そして今日、それはかよこさんを愛する、お父様から受け継がれたものだと知ることができた。それがとても、誇らしかった。