恵比寿のバイト仲間が育てた新米をいただいて胸が震えた。
私たちは約9年前、恵比寿の西側にあった、今はなきTSUTAYAで共に働くバイト仲間だった。私は当時21歳。今思い出しても、全ての言動にモザイクをかけたくなるくらいに尖っていたし、ライター業も学業も私生活もすべてが空回りしていた時代だ。
そんな時に出会ったTさんは、洒落たアクセサリーをつけていたり、金髪のメッシュがさりげなく入っていたり、本質的におしゃれな人の雰囲気を漂わせていて、バイト仲間の中でも異彩を放っていた。それでいて、会うと必ず「元気?」とか「最近調子どう?」とか、優しい一言をかけてくれる。私の憧れの人だった。シフトに入るたび、深夜2時の閉店音楽の再生ボタンを押すのを心待ちにしていた私だったが、Tさんと一緒のシフトの時だけは再生ボタンの件はどうでもよくなった。
バイトを辞めて何年かして、彼女が出産した時にはご実家まで会いに行った。ミルクの匂いのする赤ちゃんを抱っこさせてもらっている時に、彼女が名古屋に引っ越すことを知った。
あれから5年。ライフステージが変わると会いたくても会えない時間が増えていくもので、私たちもSNSでゆるくつながりながら、たまにコメントを書き込みあったり、交流を続けていたのだった。
そんなある日。
友人SちゃんがLINEで送ってきた写真が、どうみても、TさんのInstagramSの写真にそっくりだったのだ。「もしや」と思ってSちゃんに電話してみると、驚くべきことに、TさんとSちゃんがママ友になっていたのだ。
しかも、東京から遠く離れた岐阜県郡上市の山奥で。
今日はSちゃんを訪ねて郡上にきて1日目。まずは、Tさんと5年ぶりの再会を果たしてきた。遊びまわる我が子を見ながら一緒に稲を刈り、子どもたちを眺めながらお茶を飲み、近況を報告しあった。最後に東京で会ったあの日、私が抱っこしたフワフワの赤ちゃんは、年下の子どもたちを引っ張って歩く、芯の強い5歳の女の子に成長していた。そしてあの時はまだ生まれてさえいなかった、3歳の我が子を甲斐甲斐しく面倒見てくれた。
「時が流れるって、色々と面白いな」秋の高い空を眺めながら想った。
Tさんはこの地で、稲作をはじめた。そしてこの秋、初めてのお米がたくさん収穫できたとのことで、夕食にと振舞ってくれた。
Tさんの家の新米は艶やかで、甘く、あまりにも美味しくて食べるのが止まらなかった。5年の月日がここまで人を逞しくするのなら、私はどんな風に変化したんのだろう…自分は何も変わっていないような気がして、恥ずかしくなった。
「ここに移り住んで初めて、自分の手にたくさん溢れるから”どうぞ”って人にあげられる感覚になったんだよね。”あげなくちゃ”って頑張って絞り出すのは続かないから…今は、自分が満たされているから自然に手渡せるっていう感覚。それが本当に心地いいんだ」
そうやって笑う、Tさんの横顔が本当に美しくて、はっとした。これが満たされている人の顔なんだな、そんな風に思った。
汗水垂らして何かを生み出すというのは、それが何であれとても尊い作業だ。そして、それができる人間の瞳には、静かな強さが宿っている。生きる喜びと美しさが織り込まれているような、光がそこにはある。
Tさんは相変わらず、私の憧れのお姉さんだった。
変化の多い人生のなかで、再び巡り会えたことが何よりも嬉しかった。