私たちはいつまでもスワンボートに乗って
昔、井の頭公園の弁天池のスワンボートによく乗った。「弁天池で恋人とボートに乗ると、弁天様に嫉妬されて別れるよ」っておじいちゃんが言っていたけれど、そんなことは都合よく無視して、私と夫は頻繁にスワンボートのチケット700円を買った。何が楽しかったのかもう大部分を忘れてしまったし、思い出せたとしてもどうせくだらないことだったんだろうけれど、私たちは毎回、全力でボートを漕いではしゃいでいた。時々、桟橋に着く前に制限時間の30分を超えてしまって、追加料金を払わされたけれど、そんなことに懲りず、公園に行くたびにスワンに乗り込んだ。
どれだけペダルを動かそうが、あまり進まないことなんか気にもかけなかった。春は桜、夏は水面のきらめき、秋は紅葉に目を細めて「綺麗だねー」と当たり前のことに感動していた。疲れたら一人に漕がせて休んだり、二人で一気に漕いで汗をかいたり。無駄にスワンを揺らして転げて、陸に降りても笑いは止まらなかった。
あの時、私たちは行きたい方向にうまく行けなくても構わなかったのだ。狭っ苦しい座席に身を寄せて、同じ景色を見るだけで満足していたから。
そうこうしているうちに、私たちは大学を卒業し、昼間のボートの営業時間に間に合うことが稀になり、その代わりお金を稼ぐようになって、恵比寿や六本木で遊ぶようになり、付き合って5年したところで「こんなところでどうでしょう」的に夫婦になった。
初めはスワンボートに乗っていた私たちだったのに、あっという間に娘が生まれ、「家族」という船が大海原へ出港した。それは大きな変化で、私たちの役割は大きく変わっていった。他の家族の船を見て、「船にはやっぱり船長が必要だ」と思った私は、夫に船長になってほしいと願うようになった。そうして、もっと船長らしく!もっと男らしく!思い通りに振る舞わない夫に不満を漏らすようになった。もっと漕いで、もっと早く、もっともっと。
「あっちの船は早いじゃない! 」と急かしたり、
「私?私はこの船で、一人で娘を育てているのよ!」と自分を棚に上げてみたり。
頑張っている夫を労いもせず、行きたい方向ばかり口にして不満げな顔をしていた。そして「ちがう、そっちじゃない!」と私までオールを漕ぎ始め、娘は泣き、私たちはいつまで経っても、クルクルクルクル。同じところを回っていた。
疲れ果てて、話すことも面倒になり、「もうこの船、降りようよ」という気分になる夜がたくさんあった。でもこの一年、夫がいない毎日のなかで、彼にどれだけ助けられてきたかが身に沁みてわかってきた。
重い荷物はいつも持ってくれていたし、作ったご飯は「おいしい」って全部食べてた。チャンネルはいつも譲ってくれていたし、誰も好き好んで見ないような犯罪ドキュメンタリーの深夜視聴にも文句を言わず付き合ってくれた。記念日には私の好きな花を覚えていて忘れずに贈ってくれたし、なんならラッコのカードまでくれた…男らしさなんていらないから、船長じゃなくていいから、早く家族で一緒に住みたいと思うことが増えた。そうして最近ふと、私たちのスワンボートを思い出すようになった。
忙しさに会話を忘れ、他の船を羨ましく思い、世間と比べて忘れかけていたけれど、私たちの身の丈は、小さな、不器用な、スワンボートだったのだ。乗っている人が一緒に足を動かさないと進まないし、頑張っても速くは進めない。よく揺れるし、危なっかしい。それでも私たちは、同じ方向を見て、一緒に笑いながら前に進みたいんだ。そういう二人だったのに、大人になったふりをして、うっかり忘れていた。
モーターボートみたいに走れなくても、客船みたいに豪華じゃなくても、私たちはやっぱり、スワンボートでいるのが幸せなのだ。お互いに足を動かしながら、笑いあえる速度で。うしろにおしゃべりな娘がいたら、よけいに楽しいはずだ。私たちのスワンボートは危なっかしくて傷だらけ。でもいつだって、口角は少し上向きだ。