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飛べないという自覚が、ここに立ち続ける力を与える。

生きていると、いろんなことが起きる。
毎回毎回、現れた問題をサクッと解決できればいいが、
解決できないまま、何年も過ごしたり、
解決したと思ったら問題そのものが間違っていたり、
もうそれに立ち向かう体力がなくなってとりあえず保留にしたり…
とにかく毎日生きるだけで、結構な体力を消費するよなァ。

子どもの頃に描いていた夢が叶わないのは
バブル崩壊後の子どもたちにとって当たり前のこと。
「こんな風になるなんて」とか「こんなこと望んでなかったのに」とか
三十路を過ぎれば、そうした経験が一切ないっていう方がむしろ珍しい。

特にこの時代は、昔よりも選択肢がたくさんあるようにみえる一方で、
様々な理由でタイミングよく選択できない人のことは都合よく無視するし、静かに追い詰めるシステムになっている。あぁ悲しい。

まぁだからといって、人生が不幸でいっぱいかというとそうではなくて、
調節してはまり込んだ現状が意外と楽しかったりするし、
美味しいコーヒー屋さんを見つけたとか、
たまたま出会った人が優しかったとか、
好きなお菓子がちょっと安く買えたとか、
そんな小さな幸せを積み重ねて、私たちは日々を乗り越えているのだ。人間は案外、しぶとい生き物ですからね。

…ただ。

例えば、野原をスキップしていたと思ったら
いきなり落とし穴にはまってしまって、
それがどうにも洞窟につながっていたらしく、
長い間抜け出せない…そんなシーズンが突然、人生に訪れることがある。
それって本当に辛い、辛いよねってことを、今回はどうしても書き連ねたい。(私の、この話を伝えたい大切な人はこの文を読んでいないと思うけど、今日は書いて消化させようそうしよう)

*


穴の中で、暗くて、寒くて、叫んでも助けがこないような日々が続いて、
火を起こそうと頑張ってみたり、ロープを作ってみたり、
できることはとにかく手当たり次第に試してみるのだけれど、
それが何一つ、役に立たない時がある。

時々、上から「大丈夫かーい?」とか「ご飯はいるー?」とか
手を差し伸べてくれる人が現れるのだけれど、
彼らは夜になると、悲しいくらい勢いよく温かい家に帰っていく。

時に、徹夜で助けてくれようとする優しい人が現れることもあるけれど、
どうにも穴が深すぎて手の施しようがない。

そのうち、その人が助けようとしてくれた手がすごく傷ついていることに気づいて、心底申し訳無くなって「もう大丈夫だよ」とこちらから手を離してしまう。

そうしてまた一人で、どうにか穴を登ろうと頑張りはじめる。

偶然、ポケットに入っていたスマホの電波が、他の穴にはまっている人とつながって、愚痴を言い合ったり、心から勇気づけられることもある。
それでも、電波が切れた瞬間にまた、孤独な現実に引き戻される。

ちょうちょが飛んで、綺麗な花が咲いている場所から呑気に応援してくる人の声はだんだん疎ましくなり、
この凍えるような寒さや、底なしの恐怖や不安をわからないのだと思うと、
「安全な場所から覗き込んでいるから、無責任な言葉をかけられるんだろう」という静かな、しかし抗えないほど強い怒りが湧いてくる。

でもその頃には、その怒りを穴の外に叫ぶほどの体力も残っていなくて、
そのうち、静かな悲しみがつねに胸を締め付けるようになる。


そんな、泣く力もなく、寝ることもできず、ただ暗い闇を見つめて途方にくれている人に対する、無責任な「大丈夫」や「応援してる」は、穴の上から無慈悲に砂をかけることと同義だ。
身体中を痛めつけ、目を霞ませ、何より、自尊心を傷つける。どんな言葉も、響かなくなる。

身もふたもない言葉だけど、
私はこういう時の、対処の仕方を知らない。

否、私も穴に落ちていたと自覚する時期が10年以上あったけれど、
それは私の暗闇の話。あなたの暗闇の話じゃない。
だから簡単に「わかるー!」話じゃない。

深さも違う、場所も違う。
穴に落ちた時の持ち物も、体力も、何もかも違う。
いつ穴から出られるのかっていうのは、
本人にも、もちろん誰にもわからない。わからないんだけれども、
このまま穴で一生を終える確率が
100%と決まっているわけでもない。

だから今はお願いだから、「私は100%穴から出られない!」と
勝手に話を終わりにしないでほしい、あなたのことを本当に大切に思ってる、とだけ言わせてほしいと思っている。
(気分を悪くさせちゃったらごめんだけど)



私が暗闇の中にいた(と自覚する)時に目にして、頭を殴られたみたいに衝撃を受け、以来、毎年手帳の片隅に書き続けている言葉がある。

飛べないということの自覚が
ここに立ち続ける力を与える               ーエンプソン

お恥ずかしながらエンプソンさんのことは詳しく存じ上げないが、
この言葉を目にするたび、ちょっと強くなるような気がする。

私が私の大切な人に伝えたいのは、
「自覚」こそが、あなたの力だ、ということ。
あなたがその暗闇に留まろうと思うなら、
あなたはずっと暗闇にいるだろうし、
あなたがここにいるべきじゃないと自覚するなら、
それだけで、穴を這い上がる力があるのだということ。
できない、と自覚することも
できる、と自覚することも
とりあえずわからないから保留、とすることも
「自覚できる」ということが、私たちを強くしてくれると
私は思っているし、それって結構大きな希望じゃないだろうか。

自分が何を身につけているのか?何が足りないのか?
何ができるのか?何ができないのか?
何を望んでいるのか?何を望まないのか?
深く深く「自覚」した時に、
この場所を生きていく覚悟、みたいなものが生まれる気がする。

そしてその覚悟が、生きて行く上で一番の武器になると、私は信じてる。

穴から出る方法は人それぞれ違うけれど、
その時自分が身につけているものを
入念に再確認して、
活用できるものを発見したり、開発するのかもしれないし、

地道なトレーニングを続けて
自分の本来の力を発揮して這い上がるのかもしれないし、



風が土を運んで、底上げしてくれたり、
偶然ちょうどいい木の棒やロープが舞い込んできたりするのかもしれないし、



めちゃめちゃエアケースだけれど、
本当に命をかけて手を差し述べて助けてくれる人が現れるのかもしれない。


何がその人を太陽の下に引き戻すのかは、誰にもわからない。
もしかしたら、明日かもしれないし、10年後かもしれない。
それでも、自分が何者で、どうやって、どこで生きるのかという確かな「自覚」こそ、その場所に立ち続ける勇気となって、いるべき場所にその人をちゃんと運んでいってくれるんじゃないかと思うのです。

…それにしても、暗闇にいる時って本当にしんどいよなぁ。

正直、手が擦り切れても、大切な人を穴から持ち上げられる体力がほしいんだけど…現状、自分にはそこまでの体力がないと自覚しているので、私に何ができるのか見つかるように、祈るような気持ちで日々過ごしています。

終わり。

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