ボロくて楽しい教室は、綺麗でつまらない教室よりよっぽどいい。
その教室というのはスーパーマーケットの上、ビルの2階のスペースにあった。「こんなところに子どもが集う場所があるのか?」と不安にさせるザ・駅前のテナントビル然とした外装である。恐る恐る中へ入ると、体育館のような床っぱりの空間があって、子どもたちが縦横無尽に駆け回っていた。
「なんだここは!?」
内装もすごかった。壁の色は剥がれ、子どもたちが跳ねている運動マットや跳び箱も、そのくたれ様から相当な年季物であることがわかる。部屋の中央には、つり輪や空中ヨガで使うようなカラフルな布が吊り下げてあり、小さな子どもがサーカスをしている。その一方で、黒板の前で熱心に勉強をしている子どもたちがいる。
「なんだここは!?」
帰ろうかと後ずさる私をよそに、娘は滑り台に走って行ってしまった。鉄棒、自転車、ジャングルジム、トランポリン、虫取り網…子どもが好きな器具は一通り完備されていることに気づく。子どもホイホイのような場所だ。
優しそうな先生が声をかけてくださった。話し方や佇まいで「子どもに好かれる人種」だとわかる。曰く、ここはもともと体操教室で、そこに通わせている保護者の要望から幼稚園的な役割も請け負うことになり、働く保護者が増えて学童をはじめ、40年以上になるというのだ。そりゃあ、年季もはいるだろう。
みんなが手をつなぎ、輪になって、活動がはじまる。「こんにちは!今日の年下さんは2歳の〇〇ちゃん、年上さんは64歳の××さんです!」と若い先生が号令をかける。輪の中にどっと笑いが起きる。隣で見ていた先生が「社会を作っているんですよ」と嬉しそうに囁いた。確かに、この世界には様々な年齢やバックグラウンドの人がいる。異年齢も先生もみんなごちゃまぜにして、それをわざと作っているらしいのだ。見た目にはわからないが、発達障害や外国籍の子どもも受け入れているという。そんな面白い場所が、こんな雑居ビルの中に…私はさらに混乱した。
その日の活動はダンスだったのだが、これもなかなかの「社会」だった。踊りについていけない子の隣には、さりげなく助けてくれる踊り上手な子がスタンバイしている。なかには踊りたくない子もいて、そういう子はマットに座って眺めていたり、寝ていたりする。恥ずかしがり屋の娘の手を引いて助けてくれたのは、娘よりちょっと年上の女の子だった。その時の娘の顔といったら。親の私が今まで見たことがないような、嬉しそうで、恥ずかしそうな顔をして、女の子の手のひらに自分の手を重ねていた。
「子どもってすごいなあ」
私の頭の中は混乱から感動に変わっていた。
私が幼い頃、家の前に出ると誰かしら子どもがいて、年齢関係なく喧嘩をしながら一緒に遊んでいたものだった。鬼ごっこなどをする時、ルールがわからないような小さな子は、ルールが適応されない「豆」として仲間に入れて、ただ走り回らせていたし、その姿を近所のおじいさんやおばあさんがニコニコと眺めていたものだった。子ども達が、アメーバのようについたり離れたりしながら「夕焼け小焼け」がなるまで走り回っていたあの光景は、悲しいかな、この東京ではあまり見かけない。子どもは習い事に忙しく、大人も仕事に追われて子どもを見守っていられない。無心に駆け回れる場所も少ないし、親が目を離したら何が起こるかわからない世である。コロナのおかげでさらに親はピリピリして、子どもの運動量も少なくなり、テレビやYoutubeの時間だけが増えている。
そんななかで、異年齢の子どもたちが輪になって遊んでいる姿を見て、正直、涙が出るほどホッとした。もちろん、感染症対策などの云々はある。その是非はともかくとして、やっぱり「遊び」をなくしたらいけないのだと思う。手を繋いだり、ひっかいたり、泣いたり、笑ったり、そういう感情の揺れ動きが積み重なって大人になっていくのに、今の子どもたちからそれを奪っているのではないかという危機感が募る。彼らが大人になって後悔するのでは遅いのだから、今できることを、できる範囲で、ちゃんとやらないといけないんだろう。
ボロボロのスーパーの上、年季の入った場所だけれど、私が見たのは本質的な「教育」だった。綺麗な空間で、しっかりおすわりして、パズルやシール張りをするような、今流行りの「教育」ではなくて、ちゃんと生身の人間と、手を繋いで走り回る経験ができる場所。つくづく、見た目にだまされたらいけないなあと自戒させられた。
「能力のある先生って、別に教室がボロかろうが子どもたちを伸ばせるから、あんまり周りを気にしないんじゃないの? 」
家に帰り、アメリカにいる夫に「ボロいけどすごい教室見つけたー!」と興奮気味に報告すると、そんな答えが返って来た。確かに、今日の先生はきっとその部類なのだろう。毎日子どもと一緒に駆け回っている70過ぎのおじいさんなんて、そうそういないはずだし。