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脱・つんのめり空回る春2023

この美しい季節を目の前にしてこんなことは言いたくないが、
私の身体は春を受け付けない。この芽吹きの季節に反して、頑なに「外に出るものか!」と1日中布団にくるまりたくなる日が度々ある。若い頃は1週間くらい寝込んでいたが、30代になってからは1日、2日のダウンタイムに収めることができている。マイナスからの始まりなので自慢できたことではないが、個人的には成長と言っても良いだろう。

ラスベガスは3月1日だというのに雪が降った。そのおかげだろうか、3月2日の今日は全身筋肉痛のような風邪をひいている。出勤予定だったが、スタジオもそこまで忙しくないというし、マネージャーの優しさに甘えておやすみをいただくことにした。

娘は学校へ行き、静かな部屋で一人天井を見ながら寝ていると、こういう弱さはラスベガスにきたとて何も変わってないよなとぐるぐる考え出してしまった。世間に対して大きな声では言えないが、私は週5の9時-5時で働けない性質を持っている。今は週4日、8時から4時、もしくは全く休み時間なしの2時30分までの勤務時間で、それがギリギリ、私の仕事できる時間のようだ。その黄金マイルールを先週破ってしまって、多分それがたたった知恵熱的な風邪を今引いている。なんともまあ、滑稽な。失敗を繰り返し、ようやく編み出した勤務時間を自ら破るとは。その背後にあるのは「自惚れ」もしくは「焦り」だ。

フローラルデザイナーなんて、こっしょぱゆい名前をマネージャーが肩書きにつけるから、そうか、アメリカにおいて私はフローラルデザイナーと名乗ってもいいのかと疑心暗鬼のまま仕事をしている。父親が生花の師範を持つ高校の園芸教師だったこともあって、良くも悪くも草花は身近な存在だった。だからアメリカに越してきて「さあ何をして生きていこう」と思った時に花の学校に入ったのはとても自然なことだった…というのは表向きの理由で、その実、その父のギャンブルが原因で家が売られ、専業主婦の母が突然介護ヘルパーになった姿を見ていたから、私の脳内のビルボードには常に「経済的自立は手放すべからず!」と書いてあって、だからとにかく「どこに住んでも仕事をするべし」という強迫観念めいたものがあったのだ。ラスベガスなら装花の仕事が多いし、英語がそこまでできなくてもスキルで生き残れるかもれない。打算も大きかった。

しかし働き始めてみると、この道20年、30年の強者がゴロゴロいる世界だ。
特にカジノの世界は厳しく、うちのカジノではないが、1日にどれくらいのアレンジを何時間で作ったか、報告するのが基本だという話も聞く。使えない人材はすぐにクビになるし、使えたとしても給料が高くなりすぎると肩たたきに合う。カジノで数十年勤め上げてフリーランスになっている知り合いもいるが、ほぼ全員が体を壊して休養した経験がある。アメリカのワークライフバランス(キラキラ)みたいなイメージがあるかもしれないが、ラスベガスのカジノで働くのは(語弊を恐れなければ)日本の社畜以上に社畜だ。遅刻はポイント制で5点溜まると失職、お前がいなくても変わりはわんさかいるぜ!という世界。新人はまず、Graveyard Shift(墓場のシフト)と呼ばれる深夜勤務に入れられることも多く、日の目をみるだけで何年もかかるカジノも多い。それでも人が集まるのはネームバリューと、ベネフィットと呼ばれる「医療保険もろもろの福利厚生」がきちんと整っているから。食事はブッフェ形式で食べれるし、時給も悪くない。チップも良い。厳しい世界だが、体力があってハングリー精神のある人には向いている。実際、移民の働き手が多いのはそういう背景もあるからだろうと思う。

そんな現場で名実ともにフローラルデザイナーの彼らが鼻歌混じりに作るアレンジ、私が作ろうとすると倍の時間がかかるなんてことはよくある。ここアメリカで一番ベーシックな12本のバラのアレンジメント(Dozen Roses)も、最近は流石に「及第点」レベルには作れていると思うのだが、ベテランの同僚が作ったものと並べられると穴に入って「もう出ない!!!」と泣きたくなるほどだ。花を学び出して約2年、自分の力不足を感じる日々の中で、もっと頑張りたいと思って働く時間をちょっと増やしてみた。するとどうだろう…予想通りというか、体調を崩したのである。

で、ベッドの上に戻る。日本にいた時も、私は無理をして寝込むタチだった。ここで頑張りたい、期待に応えたい、自分を大きく見せようとするからこそ、がむしゃらに作業をして、ツンのめって、転ける。もうこれ以上同じ失敗するなよ、と思うのに、似たようなことをして、身に覚えのある後悔をする。流石に近頃は、人様に迷惑をかけないように最小限のつんのめりにできているはずなのだが、それでも「アメリカにきてもこれかよ」と自分につっこみをいれずにはおれない春の1日になってしまった。

日本にいる頃も桜の季節になると、この春こそは!と意気込みがちだった。今年度こそいい成績を取るぞ、とか、新しいクラスではもっと明るい自分になるぞ、とか。世間の「春スタート」に乗っかろうとして度々転けていたが、そろそろ、自分の「脱・春キャンペーン」をするべきなのかもしれない。過剰に自分に期待したり、結果を焦って急激に変わろうとするから空回るのであって、桜が咲こうがうぐいすが鳴こうが、私は私。どんな季節も相変わらずコツコツと、自分なりのペースで前進していきたい。幸い、こちらはずっとサボテンの気候。今年こそ、春の空回りを徐々にマシにしていこう!と誓う2023年の桜の季節である。

PS:春の花は大好きです

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