「ほんとう」の片鱗
「全然、大丈夫!」と笑っていた人も、
本当は少し、大丈夫じゃないかもしれない。
「大丈夫じゃない」と泣きついてきた人も、
本当は結構、大丈夫かもしれない。
あの人は「大好きだよ」という1時間前に
他の人にも「大好きだよ」と囁いているかもしれないし、
あの人は「大っ嫌い」と叫んでおきながら、
美味しいご飯を作ってリビングで待っているかもしれない。
「連絡するね」と言いながら何年も音沙汰なしの人もいれば、
関心がないような素振りをしながらメールのタイミングを見計らっている人もいる。
どれもこれも嘘じゃないけど、丸々、本当のことでもない。
丸呑みに信じるのは傷つくし、全く信じないのも味気ない。
大人というのは、そういうゲームみたいなやりとりを、
ちょうどいい塩梅でやれる人のことをいうのだろうか?
だとすると、私はまだまだ。
嘘に真心をゆだねたり、ほんとうを蔑ろにしたり。
言葉を発した、その微妙な揺れのなかにある
「ほんとう」の片鱗をちゃんと見極める力がほしい。