2023/5/2 マス目がどうした
小学校に入ったら楽になると思っていたのにむしろ大変じゃないか!問題の原因の一つがプリント地獄にある。1年生になったときはそりゃあもう、舐めるように何べんもプリントに目を通し、間違いがないようにペンで重要な部分をなぞったりして、用意するものに漏れがないように慎重に臨んだものだ。だけど3年生にもなると気の緩みと慣れで、そこまではしなくなる。
娘も3年目の小学生ともなると、プリントも重要書類もなかなかランドセルから出さない。「そういえば何かもらってたー」と言いながら、激しく折れ曲がった何かを出したときには、提出期限だったりする。
今年度も何枚もプリントを渡されていた。
〇ご家庭で用意するもの
社会のノート
理科のノート
国語のノート
なんでもいいわけじゃない、ノートのマスの大きさが指定がされているのだ。そういえばそうだった、1年生の頃は大きなマス目だったのが、だんだん小さくなっていったんだっけ。すぐに社会と理科のノートは近所の店で見つかった。だけど国語用のノートがない。18マス、5㎜方眼中央リーダー入りの国語のノートは一体どこにあるんだ。100円ショップも無印も、近所の文房具屋も12マスあるいはもっと小さい22マスしかないのだ。
娘には、とりあえず今使っているノートをしばらく使いなさい、と言っておいたが、月曜に渡されたプリントには、GW明けまでに国語のノートを2冊用意しておくように、とさらりと記載されている。
それが、先日荻窪に行ったときにとうとう見つかったのだ。タウンセブンは大好きだ、必要なものがほとんどある最高の場所。18マスの国語のノートも1種類置いてあったのだ。ほかの大きさのマス目ノートは多種置いてあるのに、18マスは1種類だけというのは、やはり需要がない大きさなのだろうか。
やっと18マスのノートを買えたと安堵していたその晩、ふと思い出した。
それは小学1年か2年の頃のことだ、私は幼稚園付属の教会の日曜学校に通っていた。私が日曜学校に行っていたという事実がまず意味不明だし、その後の人格におそらく何の影響も及ぼしていない事にも驚く。
貴重な幼い頃の数年を、なにかというと祈りを捧げていたのに、まったく私は信心深く育たなかったし、なんならその頃も(キリストになんでも祈りすぎだろ)とは思っていた。
ある日、教会でノートに何かを書き写す時間に(多分とても良い教えか何かでしょう)、私のノートをちらりと見た一つ上の女の子が、つぶやきにも似た小さな声を放った。静かな教会では、どんな声も響くのだ。
「うわー、大マス」
私の大マスのノート、見られてしまった。私は恥ずかしさでノートを手で覆った。
そう、私は母に持たされた、1年生用の漢字練習の巨大なマス目のノートを使っていたのだ。あのマスに文章を書くのは非常につらい。漢字ならいい、間が持つ。しかし、平仮名はつらすぎる。『い』とか『し』とか書く時は、ノートがもったいない、というエコな気持ちも働くし、そもそも文章がとんでもなく読みにくい。私だってこんなノートは嫌なんだよ、使いたくないよ、でもしょうがないじゃない。
気弱な私は、大マスのノートがコンプレックスになり、もともと楽しくなかった日曜学校に行かなくなった。全く信心深くなかった母も、それについて何も言わなかった。
大きなマス目のノートを見るともやりと嫌な気分がしていたし、マス目の大きさを間違ってはいけない!、という切迫感に襲われるのは、この日曜学校のせいだったみたい。
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