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已(すで)に敗れたる者に勝つ(敗れている筈の方からの挑戦もある)|4月16日
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已(すで)に敗れたる者に勝つ(敗れている筈の方からの挑戦もある)
本項の「勝已敗者也」は、すでに敗れている敵と戦って勝つということだが、すでに十分解説してきたので、この逆の礼について考えたい。そんなバカなと思われるかもしれないが、相手からみれば既に負けている筈のものが、戦いを挑むのだ。普通勝てないと思えば戦いをやめて逃るか避けるかするものだが、世間には敵を知り己を知らずに戦うものがあるものだ。殷鑑遠からず、太平洋戦争がそうだったと、昭和天皇はいわれた。戦国戦史に終わりを告げた小田原の北条氏がそうであったし、秀吉の朝鮮征伐もそうであった。さらに秀吉の伜の秀頼が母親とともに戦った大阪の陣もそうであった。
考えてみれば、三国志の名将として五丈原で陣歿した諸葛亮孔明の北伐もそうであった。孔明は執念の権化となって強行したが、険峻な泰嶺山系越えと補給の困難、それに名将仲達の抵抗を考えれば、どうひいき目にみても勝算はなかった、これも反面教師といえる。
4月16日、孫子一日一言の言葉です。
おはようございます。
こういうことはあるし、こういう話に感動することもあります。
なんというか意地を見せるというかなんというか。
実際、勝つこと負けないことは大事ですし、兵は国の大事だし、百戦百勝は善の善なるものあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
孫子ではこれを口すっぱく説いています。
でも、人はなんかこういうのに魅せられるというのはある。
だから歴史に残るんだと思います。
すべてに理由はある。
わかっていてもやらなければいけない時もある。
実におもしろいですね。
今日も一日がんばります。
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