見出し画像

生死一如

われわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、さらに一如ともなるわけであります。【257】

#修身教授録一日一言  #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新 

生と死と言う問題についてはなかなか普段感じることは出来ないわけです。

だんだんと年齢を重ねていくと人の死というものも当たりまえのようになり、その人の死すら思い出すことが薄くなるものです。

思い出されないとうことが死が本当の死だとも聞いたことがあります。

そういう意味では先生は死んでいないのかもしれません。

松陰先生もしかりですし、様々に偉人もそうかもしれません。

生き切るというようなことを悟るというか感じるというか、そういう心境になり実行できる人が死後も忘れ去られない人かもしれません。

それには今日一日なんだろうし、今の一分一秒なんだと思います。

毎日しっかり考えて前に進もうと感じています。

いいなと思ったら応援しよう!

窪田 幸雄@サウナと読書とプリントと旭川
旭橋を愛する旭川市民です。名入れ印刷ばっかりする贈答品屋の(株)クボタ贈商とWEB販売の(株)ニムリスにて人生修行中です。旭川地域ポータルサイト「いいあさひかわ」もどうにかしたいっす。武士道の言葉「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」 が好きです。