ヴァージンVSに辿りつくまでの久保田さちお1
ヴァージンVSに辿りつくまでの久保田さちお1
みなさんこんにちは。
別のnoteで「ヴァージンVS過去・現在・未来」を連載中の久保田さちおです。
連載を開始してから、ヴァージンVS以前の私、久保田さちおの音楽活動や、70年代前半の京都や関西、東京の音楽シーンの事も、記憶のあるうちに書いてしまえということで、別仕立てで記事を書くことにしました。
ヴァージンVSファンの方には何の興味もないかもしれませんが、そのころ私たち音楽を志していた者達を取り巻く状況の、ある側面に光をあてることができるかと思います。
しかしながら、50年前の事なので、覚えているつもりでも記憶違いがあるかと思います。
史実?と違っておりましたなら訂正いたしますので、ご指摘よろしくお願いいたします。
私は1971年、京都の同志社大学に入学し、入学と同時に「ライラック・レインボーズ」という軽音楽同好会に入会しました。
ここで、のちのウエストロードの永井隆さん、塩次伸二さん、小堀正さんと出会いました。
永井さんは小堀さんと一緒のバンドでビートルズを演っていました。小堀さんはギターで、ジョージそっくりにサムシングを弾いていたのが印象的でした。
小堀さんのギターは、テスコだかグヤトーンのソリッドボディーをのこぎりでカットし、サイケなペインティングが施されていました。
ギターの風貌が、なんか、ジョン・メイオールの5弦ギターみたいです。
そのギターをケースにも入れず、そのままホンダN360にポンとほり込んで去っていく様は、あ~、ロックなお兄さんや、という感じでした。
塩次さんは別のセッションバンドで、ディープパープルのブラックナイトなんかを演奏していました。
ギターは確かファーストマンの黒いセミアコ。
この黒いセミアコで、ヴェンチャーズだろうがディープパープルだろうが、なんでもかんでもすごいスピードで弾きまくっていました。
もちろん履いているGパンは全員「ベルボトム」。
私は「ベルボトム」という呼称も知らず、「喇叭ズボン」だと思っていました。
その「喇叭ズボン」が欲しかったのですが、いったいどこに行けば入手できるのか皆目見当がつかず、ある先輩に思い切って、「それどこで買うたんです?」と尋ねると、「吹田のジーパン屋」とのこと。吹田に行かないと手に入らないのか?これは難儀なしろもんやな~、と思いましたが、いつしか私もその「喇叭ズボン」を着用するようになっていました。
入学当時の私は、ザ・バンドやバーズのような音楽を演りたく、また、ボブ・ディランをはじめジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロも大好きな、どちらかと言うとフォーク・ロック的な志向でした。
誰かとバンドを組もうと試みましたが、なんせ私がヘボいので話になりません。
今から思えば、ウエイトやアイシャルビーリリーストが、なぜできなかったのか、謎です・・・。
かろうじて、アーロガスリーの「Coming Into LosAngeles」はやったが、こっちの方が難しいのにな~。
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