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ヴァージンVSにたどり着くまで 9 1971年 広島大学学園祭 2

ヴァージンVSにたどり着くまで 9

1971年 広島大学学園祭 2

1971年広島大学学園祭でのコンサートは、陽の高いうちから始まりました。
何バンドぐらい出たのか覚えていませんが、京都から来た「マックスウェルサーカスは」まだ昼間だったと思います。
京都でのコンサートで一緒に出ることもありますが、確かエルトンジョンかCSN&Yの曲でエレキが必要な時、よく私はギターを貸していました。
そのころマックスウェルサーカスのギター蓮池氏は既にギブソンJ-45を使用していましたが、当時は複数のギターをコンサートに持参するということはなく、みんなギター1本しかもって来ません。
弦が切れた時どうすんの?と思うかもしれませんが、その時はステージで張り替えるのです。
今でも、小規模なライブならギター1本勝負ですけど。
ちなみに蓮池氏はその後の田舎芝居ではテナーバンジョーも担当します。

“ステージで弦が切れた時”で、いきなり思い出しました。
71年5月か6月ごろ、同志社大学学生会館で遠藤賢司さんとはっぴいえんどのコンサートがあり、その時エンケンさんが激しいピッキングで弦を切ってしまいました。
そうしたら、大丈夫?よかったらこれ使えば?みたいな感じで、はっぴいえんどの鈴木茂さんが下手舞台袖から弦を持って現れましたが、エンケンさんは自前の弦をちゃんと用意されていてステージ上で張り替えていました。
今なら、少なくても次の出演者が弦を持って助っ人に出てくることは絶対にありませんよね。

でも、しかし、もっとすごかったのは高校生の時、セルジオメンデスとブラジル’66を大阪フェスティバルホールだったかサンケイホールだったかに観に行った時、開演前のステージ上のピアノの前に座った、髭はやした外国人のオッチャンが(失礼!)、ずっとピアノを弾いたり、いじくったりしています。
なんかセルジオメンデスに似てるなと思ってましたが、でもまさかね。
そのうち引っ込んで、いざ開演になったら、さっきのオッチャンは、なんと、やっぱりセルジオメンデスご本人様でした!
なんか、そんな時代。
今のように完璧な音響、照明、映像にシンクロして音楽が演出されることはなく、その時その時、全部違って当たり前みたいな感じ。
どちらが良いとは言いますまい、エンターテインメントとしてはどちらもありでしょう。

あっ、これに関してまだ書いておかなければならないことがありました。
そのエンケンさんとはっぴいえんどの同志社大学学生会館でのコンサート音響は、ボーカルアンプなしで、ホール音響を使用していました。
なので、エンケンさんの歌とギターはとても良く聞こえていましたが、気の毒だったのは、はっぴいえんどの皆さんです。
歌は全く聞き取れませんでした。
でも大瀧さんは、さすがに事前にその状況を見破り、プロセのスピーカー(ステージ上部から客席へ向かって設置されているスピーカー)を指さし、この下あたりの人しか歌は聞こえないと思います。と断言されて演奏を始めました。
確かにそれを外れると全く歌は聞こえませんでした。残念!!
当時から考えると、コンサートの音響、PAというのはものすごい進歩をしてきたのですね!!

その「PA system?」と外人さんから聞かれたPAのようなスピーカーが積まれた広島大学野外ステージのウエストロードに話を戻さなくてはなりません。
でも、ちょっと話が長くなったので、次にしよっと・・・スンマセン

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