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ヴァージンVSにたどり着くまで 15

ヴァージンVSにたどり着くまで 15

~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 3~
前々回NO.13からの続きで、1972年8月に私がウエストロードを去るまでの間のメモを中心に記します。

「1972年6月11日SEIBU REVIEW 京大西部講堂」
釜企画のコンサートで初めて集客が成功した覚えがあります。
このポスターも大阪、神戸方面に配りに行ったな~~。

ミキシングは「スパニッシュ・ハーレム・ナイト」の入江さんがやってくれたと書いてあります。
入江さんはベースマンで、後々泉谷しげるさんのストリートファイティングマンでベースを弾くようになります。
「スパニッシュ・ハーレム・ナイト」のギター、ヴォーカルの佐藤宣彦さんは後にLINDBERGや黒夢等のプロデューサー。サックス、フルートの水谷啓二さんは、あの「ダンシングオールナイト」の作詞者となり、ドラムの四ツ田ヨシヒロさんは「柳ジョージとレイニーウッド」のドラマーとなります。すごいい~~。
でも、この頃はまだみんな京都にいたわけですね。

ミキシングという言葉が出てきたということは、この辺りからPAが一般的に登場してきたのかな?

一緒に出演した東京から来ていただいた「THE M」というバンドが素晴らしかったと書いてあります。
それもそのはず、今考えるとメンバーがこれまたスゴイ!!
ヴォーカルとベースは後々イエローを結成する垂水兄弟
ギターは後々ゴダイゴを結成する浅野孝己さん
ドラムスは後のファニーカンパニーの西哲也さん(原宿クロコダイルでお世話になります)
キーボードは川崎雅文さん、後のカルメンマキ&OZ。
「今まで見た日本のバンドで最高の部類に入る!」と当時の私のコーフンぎみのコメントが書いてあります。
ニールヤングの「サザンマン」や「オハイオ」等も演奏されたようです。

ウエストロードはというと、この日は新曲「All Your Love」を演奏したと書いてあります。
もちろんオーティスラッシュのあの名曲です。
私は高校生の時にジョンメイオールの何かの曲のB面で知り、バンドで練習していたことがあります。
途中からアップテンポのシャッフル(当時はシャッフルなんて言葉も知らなかったですが)になるとき、エーストーンのファズの音色を切り替えていたぞ!
もちろんウエストロードでファズは使いませんよ、アンプで歪ませるのが正しいとの認識。
このアンプで歪ませるということを最初に教えてもらったのは高校の先輩、仲豊夫さんからです。
仲さんは関西方面の方々にはお馴染みかと思いますが、「スターキングデリシャス」、「シェリフ」といったバンドで活躍されて現在に至る。
同じく、高校時代よくセッションさせて頂いていたのがドラムの関戸研二さんで、その後「ローレライ」というバンドで活躍されます。
お二人とも長い間お会いしていませんが、お元気でしょうか?

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