私は綺麗になりたかった
生まれつき唇にある腫瘍の、レーザー治療をした。
メスで切ったりしないけど、手術扱いとの事だ。腫瘍に直接細いファイバーを差し込み、血管内に直接レーザーを照射するという、外科手術よりも負担が少ないと思われるやり方だ。これまで自費診療扱いだったこの手術が、最近保険治療の対象になったという記事をネットで読み、記事を書いた先生の病院を訪ねて、手術を受けて1ヶ月半が過ぎた。
腫れがひき、正直なところ劇的な変化は無いのだが、前よりは小さくなった気がしなくもないし、健康な皮膚に悪い影響も出ていない。良しとする。あと何回か同じ方法を繰り返して、少しずつ小さくなればいいなあと思う。
私の上唇の右側にある静脈奇形は、普通に暮らす分には全く問題がないものだ。見える部分の腫瘍は、10年前に受けた外科手術でかなり小さくして貰った。口内はまだ広い範囲でモコっと膨らんではいるが、痛くもないし、ご飯も食べられるし普通に喋れる。
健康に支障がないのになぜ私が手術をするのか。今はその理由をはっきり言葉にできるが、実はここまでには結構な時間がかかった。
子供の頃、私の唇について言及する子は周りにそんなに居なかった。たまに居てもそれは純粋な疑問からで、虐められたりからかわれたりはしなかった。生まれた時からあったから、あるのが当たり前で、自分でも全然気にしてないと思っていた。
3歳の頃に一度手術をしたのだが、思ったような効果を得られず、母は時々「手術しなければ良かった」と母自身を責めるように後悔の言葉を口にした。その度に私は困ってないのに!と憤ったりもした。
20代になって、自分の写真や映像が、簡単に残せる時代になった。自分の顔を客観的に見る機会がものすごく増えた。さらにそれが世の中に残り続ける事も多くなった。それまで存在に気づかなかった、心の奥の方にあるぼんやりした気持ちの輪郭が、ぼんやりしつつも少しずつ形になっていくのを、ぼんやりと感じた。
30代のある日私は歯医者にかかり、私の経済事情を慮ってか、保険治療で十分だと、白い歯じゃなくて銀歯で十分だろうというようなことを言われたことがあった。それに対して何かを答えたいのだが、なぜだか上手く言葉がでてこない。診察台の上で頭をぐるぐるさせながら、気持ちを探り当てるみたいに置いていった言葉がこれだった。
「私は…綺麗になりたいんです。」
微妙にズレた返しに先生も「お、おう」と困ったと思うが、その時、私の心の奥で、もやもやの輪郭が急激にくっきりした形になった。漫画で良くある、雷に打たれたみたいな衝撃が走った。
自分でもびっくりしたのだが、言葉にした途端ぶわっと込み上げるものがあり、歯医者を出るや否やなんと私は泣いてしまったのだ。
私は、綺麗になりたかったようだ。
直接は関係ない出来事だったのだが、それが唇の奇形を治療するきっかけになった。歯も白いものにして貰った。
この血管奇形というものは、実はまだあまり解明されていない、治療が困難な症状のひとつだ。現在進行形で研究が行われている。医学は進化しているし、私の治療も着実に前進している。当たり前だがぼんやり暮らしていたら全く情報は入ってこなくて、でもいざ自分で積極的に知ろうとすれば、今はスマホがあれば何らか手がかりを得られる。
気持ちと行動が一致するのは気持ちがいい。引き続き、あれこれ残していきたいと思う。