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自己紹介から。Noteスタート

こんにちは。アクセスして頂きありがとうございます。
2年前には既にアカウントを作っていたのですが、一切投稿していなかったことに気づきまして笑、これから色々な視点や日々感じたことを書こうと思います。
早速つたないかもしれませんが、自己紹介から。

子供の頃の私

長崎生まれ、小さい頃に一時期福岡、その後はずっと佐賀で育ちました。
小さい頃は曽祖母、祖父母を含めて7人という大家族の中に、子供1人という大人に囲まれた育ち、思えば色々な大人達に見守ってもらいながら暮らしていたんだなと思います。「大人達が子供達を見守っていく社会」というのは、非常にいい社会だと最近よく思います。(これはある意味、今の仕事の原点になっているかもしれませんが)

一方で、しつけや社会で生きていくにあたって守るべきことに関しては、家族全員がとても厳しかったのですが、振り返ってみると、将来に役立つことをたくさんの愛情をもって教えてくれましたし、本当に感謝しています。それがなかったら、きっと今の私もなかったと思うので。

学生時代

中学生の頃で覚えていることは、朝は日の出と共に、夜は星空を見ながら帰宅するという部活三昧の生活をし、好きな科目しか勉強していませんでした(数学理科嫌い、英語が一番好きな科目)。だから受験科目に数学や理科がなく、作文と英語だけという高校を受験して進学しました。今思えば高校生の頃が一番勉強していたのかも。この頃のこともまた書きたいと思います。

そして就職

こういうありがたい環境に育ったこともあって、九州から出て働くことは全く想像しておらず、全く就職したい分野ではなかった某大手電機メーカーに新卒で就職しました。
もともと旅行業界で就職するつもりだったのですが、当時の先生からメーカーの求人を紹介され、本当に何も考えてなく、試しに受けたところに合格してしまったんですね。後で分かったことでしたが、実は学校推薦の求人だったらしく、仕方なく(失礼な話ですが)メーカーを選択しました。

正直なところ、電機業界にもメーカーにも全く興味も関心もなかったので、受けた会社の名前も全く知らず、たいして事前に会社研究もしないまま、面接を受けました。
「会社に入って何をしたいですか?」「志望動機は?」という定番の質問にも、気持ちの入った答えは出来ず、単に「人と会う仕事がしたい」という漠然とした理由だけでした。
さらに数学理系科目は全て嫌いで不得意、好きなのは英語、歴史、地理という完全な文系の私にも関わらず、よく採用してもらえたなと今でも思います。

その後、何百人もの技術者がいる開発部門の1つの課が、私の最初の配属先でした。しかも全員エンジニア。でも全員が揃うのは年に10日もなかったほど毎日誰かが海外出張という部署でした。
「世界中みんな回ってるし、市場も商品もよく知っているから」というトップダウンによって、部署丸ごと商品企画へ異動になるのですが、そこから私の商品企画やマーケティングのキャリアがスタートします。(商品企画の話はまた別に書こうと思います。)

今も原点の1つ

その後「実務経験や現場の課題を知っているから」ということで、様々な課題解決をするために新設された部署へ異動し、戦略策定や業務プロセスコンサルタントに従事することになりました。
現在コンサルタントという仕事をしている方は、みなさん総じて同じような生活だと思いますが、月曜日以外、毎日毎曜日どこかに出張に出るという生活。九州内はもちろんですが、日本中を回っていたと思います。移動中や休日にも仕事をしていた毎日でした。

しかしそんな忙しさの中でも頑張れたのは、多くの人達との出会いからでした。年齢や立場の違いこそあれ、「みんな適当に仕事しているわけではなく、それぞれに頑張って仕事をしている。しかしそれでも解決できないことで困っている」ということを日々思い知らされ、「だから、自分に何ができるのか。どうしたら解決できて、みんながHappyになるのか」ということに悩み考えていた頃でした。
行き着いた答えは、「自分の実力を上げないと、誰かをHappyにするkとおはできない」という答えでした。そこから、様々な課題解決手法を勉強して提案していく毎日を過ごすことになります。
この頃の上司の話、組織の仕組みも素晴らしかった。私の仕事の原点の1つになっています。

そして関西へ

その頃担当させて頂いたご縁で、その後に白物家電(エアコンや冷蔵庫、洗濯機などの家電製品)を担当する関西の拠点へ異動することになります。

人生で初めて九州を出た関西での生活が始まるのですが、九州とはまったく違う言葉のイントネーション、さらに習慣や考え方、街並みや生活環境もかなり独特で違うので、慣れるまではやはり戸惑いました。
(この話もまたいつか書きたいと思います。)

くらしを知るおもしろさ

異動後の拠点で扱っていた白物家電は生活に密着しているので、例えば仕様を決めるにも、プロモーションを行うにも、「その文化やくらしを知る」ことがまず最初になるんですね。

例えば「どんな食材をどれぐらいの頻度で買ってどうやって調理しているのか」「どんなものを着てどれぐらいの頻度でどうやって洗っているのか」「どんな家でどんな人が暮らしているのか」「店頭であるいはECでどんなところを見て買っているのか」などなど。。

商品企画や要素開発、マーケティングのベースになるものなのですが、世界各国でフィールドワークやリサーチ活動を行いながら、コンセプトや仕様を提案しながら一緒に考えていくという仕事でした。今なら動画や画像もあるので、もっと面白いことが考えられるのではと思いますが、これもまた追々で。

CRM・IT・データアナリティクスxマーケティング・商品企画

その後、コンサルタントをしていた頃のご縁で「情報を活用したマーケティングを世界中で加速する」という全社ミッションを持った部署へ異動することになります。
今では当たり前ですが、SNSやECが急速に拡大し始めていた頃で、デジタルマーケティングという言葉が始まった頃でした。そこで各国や各地域を含めてプロジェクトを束ねていくPMO(Project Management Office)、そして現場経験を活かした商品やマーケティングへのデータ活用という役割も担っていました。これも思い出せば、結構大変な仕事でしたね。
その後、データ分析を専門的に担当する部署が新設され、そこでも商品企画の実務経験が役立つことになります。これもまた幅広いものでしたが、またこれらの話は追々で。

この頃はITや情報活用という仕事をしてきましたが、現場に戻りたいと思い、白物家電の商品企画の実務へ戻りました。それから約1年後に実家の都合で退職し、大学勤務とゲストハウスの経営に至ります。

原点に返る

「そもそもしたかったことは?」
「どうせ会社辞めるなら、これから自分のやりたいことを実現していこう」
「じゃあ何する?」
で、考えたのがゲストハウスの経営、そして大学勤務。

「人と会う仕事がしたい」「英語や中国語が話せる」「そもそも旅行業界に就職したかった」という原点に帰って考えたことでした。

大学は世界中から来た留学生が日本語を学ぶセンター、日本人と留学生が日本のことを英語で学ぶセンターに勤務し、色々なカルチャーや考え方の違いで日々異文化交流でした。
ゲストハウスも同じなのですが、こういう人や文化の交流がやはり好きだとあらためて思ったことを覚えています。詳しくはこれもまた。

そして新たな領域へ

そして2020年。コロナウィルスが世界中に蔓延してから、海外からのお客様や新しい留学生は一切来なくなる日々でした。もちろん日本人も留学できず、誰もが苦しい時期に突入します。
しかし一方で、フルリモートという新しい働き方が生まれました。
そのおかげで、WEBサイトの改善に関わるITの仕事をさせて頂き、その後はインドの高度エンジニアに関わる仕事、それに伴うリサーチも担当しました。
そんな中、知り合って20年近く経過している方から「うちの会社で一緒に仕事しない?」というお声がけを頂き、今まさに複数の事業の立ち上げをしているところです。

どうなるのか分かりませんが、楽しめるのは間違いない!
と信じています。そうでなければ、チャレンジなんてできないんで。
これまでの様々な経験を全部投入できそうな仕事ですが、この話の続きはまた書こうと思います。

最近のキーワード

・たわいもない毎日を、大切に、丁寧に暮らす。
・自分が思っている以上に、実は自分の人生というものは時間がない。
・やりたいことを、やれるだけ、最速で。

ということで、ずっとほったらかしていたNote。
日々思ったこと、感じたこと、そしてこれまで学んだことや経験したことを発信し続けていこうと思います。

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