サチコのサウナウタ⑥ 「世界で一つだけのサウナ」
こんにちは。サウナのサチコです。
トップに挙げた粘土人形に驚いた方も(あるいは不快になった方も)いらっしゃるかと思います。すみません、今回のサチコは攻めてます!
すでに↑の粘土人形はインスタにあげたので、誰の顔か分かっていらっしゃる方も多いと思いますが、
槇原敬之さんです。
今日の曲は2003年リリース。マッキーが作詞作曲してSMAPに提供した、「世界に一つだけの花」です。
これをサウナでは「世界に一つだけのサウナ」と言います。
これです↓
自粛中。
いえ別にマッキーが自粛中だというわけではなく(半分はそこに引っ掛けていますが)、コロナでサウナに行けない時、サウナーの多くが自宅の浴室にビニール傘を持ち込んで、簡易サウナを作ってました。それを再現してみたのです。
つまりこれは「世界に一つしかない(自宅の)サウナ」ということになります。サウナーにしかわからない話ですが、インスタではなんとなく伝わったような、伝わらなかったような・・・。
こういう攻めの人形を作ると、インスタではコメントをたくさんいただきます。しかし今回は、槇原敬之さんの曲に関してのコメントが多かったですね。つまりそれだけマッキーの曲は多くの人の心を掴んでいるということ。多くの人が「マッキーの好きな1曲」を持っているということ。
私は「遠く遠く」が好きなのですが、インスタのコメント欄では「どんなときも」「もう恋なんてしない」「チキンライス」、他にも「てっぺんまでもうすぐ」なんていう、あまりメジャーじゃない曲までフォロワーさんから飛び出しました。
マッキーの声と彼の作る曲は、こんなに素晴らしいのに。それなのに。
売れる曲を作り続けるということは、それほどまでに辛く苦しいものなのかと、彼が逮捕されるたびに思います。「そんなに苦しいなら休めばいいのに」、「そんなに苦しいならやめればいいのに」と人は言うけど、休むことはもっと苦しいのだろうし、やめるとなったらその先が真っ暗になってしまうんだろうなと想像します。死ぬ気になればなんでもできるというのは、生きる気力のある人に言う言葉で、死ぬほど辛い人にその力は残っていない。それが最近分かるようになりました。
もちろんマッキーがしたことを認めるわけではありません。気持ちを理解できるとかも言ってはいけない。
ちょっと話が逸れるかもしれませんが、
私がもう20年近く大事にしている言葉があります。有名な人の言葉じゃなくて、知り合いの女性が言った言葉です。前にも書いたかな(記憶が曖昧)。
「たった一人でも血の繋がらない人に愛されていると実感できれば、人は生きていけるんです」
つまり家族や親戚ではなく、他人にありのままの自分を愛してもらっていると実感できるだけで、他に何もなくても生きていけるという意味です。家族が自分を心配しても「家族だから」と思いますよね。でも他人が本気で自分を心配し、本気で自分を大事にしてくれている、愛してくれていると実感できたら・・・。確かにどんな苦しい時でも頑張れそうです。万が一、行ってはいけない方向に足が動きかけても、そこで踏みとどまることができそうです。
マッキーがそこに行ってしまったのは、同居していた人が原因だったと記事にありました。本当かどうかはわからないけど、どちらにしてもマッキーには「血の繋がらない」その「誰か」がいなかったのだと思いました。
でも。
もしマッキーにそういう「誰か」がいたら、あのような心を打つ歌は生まれなかったのかもしれない。そんな風に思ってはいけないけれど、心を打つものをつくる人の多くは、悲しい人生を送っているような気がするんです。創作って残酷です。
私もいつか、誰かの「血の繋がらない人」になりたいし、「血の繋がらない人」に愛されたいと思っています。私ならきっとできる!(自己暗示)
まとまりもなく偉そうなこといっぱい書いてすみません。トップの粘土人形を見て、まさかこんな記事になってるなんて誰も想像できないでしょうね。まあ、それがサチコです(よくわかんないけど笑)。
明日もサウナウタをインスタに投稿します。noteも書くかどうかは微妙なのですが。その理由は明日のインスタを見てくださればわかります。(・・・と、静かにインスタの宣伝もする)
ではでは。
サウナのサチコより。