サウナのサチコのサウナじゃない話③『アナスイとルキア』
こんにちは。サウナのサチコです。
バイト帰りの電車の中で、スマホ使ってこの記事書いてます。
「待つ」
皆さんは待つこと、得意ですか?
だいぶ前に、新聞にこんな投稿がありました。
「彼と待ち合わせていたら、約束の時間になっても彼が来ない。何かあったのか。連絡しようにも私はスマホを家に忘れてきてしまった。そこで私は本を取り出し、読みながら彼を待つことにした。彼は1時間後にちゃんと現れた」
私はこの話が好きです。もしかしたら以前にもnoteで取り上げているかもしれません。
彼女は彼が必ず来ると信じていたから、焦らずに待つことができた。彼も彼女がそこでずっと待っているだろうと信じていたから、連絡が取れなくてもとにかくそこに向かった。互いの性格や考え方をよく分かっていなければ、決してできないことです。実際に会えた時、きっと互いの無事を確認して、心から安堵しただろうな。遅れたことや、スマホを持っていなかったことを責め合うこともなく。
待つには、信頼が必要。相手への信頼と、自分への信頼。
私は待つことが苦手です。年齢を重ねるごとに生き急いでいる気がします。困ったことが起きたらすぐに動いて解決したい、安心したいと思ってしまうのです。
私には大事にしている時計が二つあります。アナスイとルキア。どちらも私にはとても高価な時計です。アナスイは2008年のもの。ルキアは2015年のものです。その二つの時計が、次々に壊れました。
まず、昨年12月半ばにアナスイのベルトが壊れました。購入したデパートは既に閉店しているので、ネットでアナスイを扱っている埼玉のお店を探しました。浦和の伊勢丹がヒットしました。早速行ってみましたが、扱っているのはアナスイのアクセサリーだけ。時計は扱っていないと言われ、がっかりしました。伊勢丹の中の時計売り場に行って、修理に出してみたら?と言われ、エスカレーターをのぼりました。落ち着いた感じの、時計職人さんが対応してくれました。
「この留め具はもう、在庫がないかもしれません。ベルト自体も在庫があるかどうか...」
言われるだろうと思っていた言葉が、そのまま返ってきました。「メーカーに出してみます。時間がかかります」と言われ、じっと連絡を待ちました。でもなかなか来ない。年が明けてしばらくしてから、ようやく連絡がきました。
「ベルトの在庫はかろうじて見つかりましたが、留め具だけの販売はできないので、ベルトの全交換になります。1万円に消費税かかりますが、よろしいですか?」
高いけど仕方がない。ベルトがあっただけ良しとしよう。
「お願いします」
そこからまた1週間ほどして、お店に時計が戻ってきたと連絡がありました。全部でおよそ1か月待たされました。これからも使えるなら良かったじゃんと思いつつも、随分待たされたなという気持ちは拭えぬまま、浦和に向かいました。
前の時とは違う若い店員さんが座っていました。私は直った時計を早速その場ではめてみました。すると手首では止まらず、ずるずると肘の方へと下がっていく。それを見て、店員さんが「直しましょう」と言ってくださいました。
「時計を手首につけて、指1本ギリギリ入るくらいがベルトのちょうどよい長さだと言われています。でもこのタイプはアクセサリーとしての要素もあるので、緩めにして遊びを持たせるのもよいかと思います。お客様のお好みで」
アクセサリーの一つとして付けていたので、緩めに直してもらいました。お会計の時にその店員さんが、「通常は回収されてしまうのですが、メーカーに言って、古いベルトも返してもらいました」と私に渡します。
「もしまたベルトが壊れても、古いベルトの一部を使うこともできます。この金具も、もうおそらく手に入りませんから、大切に保管しておいてください」と。
待っていた一か月の間、そんなやりとりがあったとも知らず、そしてこれからも長くこの時計を使ってほしいという店員さんの思いも知らず、私はただ解決することしか考えていませんでした。待ったからこそ分かることがある。そう思いました。
次はルキア。
この時計もとても大事にしています。ベルトが革なので、一度新しいものに取り替えたくらいです。しかし直したアナスイに気を取られ、アナスイばかり身につけているうちに、ある日、ルキアの針が止まっていることに気がつきました。ガラスのケースから取り出してみると、ほんの少しだけ針が動きました。ソーラーなので、また日に当たれば動き出すだろうと、腕につけてバイトに行くことにしました
でも一日中つけていても、戻らない。5秒刻みで秒針は動いていますが、時間は6時から7時の間を何回も回るだけ。説明書には室内の明かりでも、数時間で元に戻ると書いてあったのに。どうしよう。仕事が終わるのを今か今かと待って、大宮のビックカメラに急ぎました。
以前、ここでルキアのベルトを替えたことがあったからです。時計売り場に行くと、そのときの店員さんがまだいました。時計を外して見せると、店員さんは文字盤を見つめて、「いつ購入されましたか?」とまず私に聞きました。2015年と答えました。店員さんは頷きながら、小さな声で言いました。
「まだ大丈夫」
その言葉に涙が出そうになりました。「大丈夫?」と聞かれると不安になるのに、「大丈夫」と言われると、どうしてこんなに安心するのでしょう。
「この時計は充電がなくなると、まず秒針が2秒刻みになります。さらになくなると、5秒刻みに。同じところを回っているのは、針を動かすのに精一杯の、わずかな力しか残っていないからです。この状態では何のボタン操作もできません。まず日光に1週間当ててください」
「1週間も?」
「そうです。1週間待ってしっかり針が動き出したあとなら、時間や日付の調整もできるようになります。その時にまたお持ちください。無料で直します」
私は思わず、「これ、とても気に入っている時計なんです」と口にしました。大丈夫だって言っているのに、なぜこのタイミングでこの言葉が出てきたのか、自分でも説明できません。店員さんは、まるで私より私の気持ちを分かっているかのように言いました。
「そうでしょう。1週間待ってくださいね」
それからはその店員さんの言葉と、このルキアを信じて、日の当たる場所に置いてその日を待ちました。そして無事、2日目に正常に動き出しました。思わず何度も、文字盤を撫でてしまいました。
まるで自分のようだと思いました。部屋にじっと引きこもって、自分の時間を止めてしまっていた私。ようやく外に出ても、動くことで精一杯。おかしいな。もう普通に動けるはずなのに。病気の取説にはそう書いてあったのに。でも本当はもっと充電が必要だった。どこにも書いていなくても、私にはそれだけの休息と充電が必要だった。
「大丈夫。待ってください」
待つ。最近はそれが少し出来るようになりました。慌てないで、急がないで。大丈夫。自分を信じよう。
私の大事な二つの時計は、今日も元気です。
サウナのサチコ
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