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年いちのメール

尾山さんからメールが来ました。

尾山さんは仮名です。イニシャルにしようかと思いましたが、アルファベットだとどうもピンと来ないから。尾山さんとしておきます。

メールは年に1回。これまでは年始が多かったのに、数年前から春になり、夏になり、今年は7月31日に届きました。尾山さんはシナリオを学んでいた頃のクラスメイトです。私はスクールを辞めてしまいましたが、尾山さんはまだ在籍しているようです。

尾山さんという男性はとても変わった人です。書くシナリオもいつも変わっていて、主人公が縄跳びをしながら登場したり、けん玉で人を殺そうとしたり。誰も思いつかないようなシナリオを書いては発表していました。そして真面目なご本人の意図するところとは違う理由で、皆にウケていました。

尾山さんはいつも、裸の上にジャンパーを着ています。胸元は見せず、しっかり上までファスナーを上げています。真冬もその格好。ポケットの中に財布やら携帯やらが入っているのですが、なぜかすべてジップロックに小分けされています。犯罪の証拠品のようです。クラスの皆の人気者でありながら、ご本人は人と関わることがとても苦手そうでした。

飲み会にもほとんど来ないのですが、クラスの誰かがシナリオコンクールで受賞した時などは参加します。義理堅い方です。でも自分からあまり話しかけることもしないので、だんだん一人になっていく。私は大勢の中で一人でいる人が好きです。皆の中心で話しているような人には、あまり興味がありません。皆の中でただ一人、静かに座っている人のことをつい見てしまいます。そうして飲み会や授業で尾山さんに話しかけているうちに、ある日、尾山さんがポケットから何かを取り出し、私に差し出しました。「これ、友だちの証です」と言いながら。

キン肉マン消しゴム、でした。

その頃、尾山さんは30代後半だったと思います。若い頃からのキン肉マンファンだと常々仰っていました。私は尾山さんの手のひらにある剥き出しのそれを、笑って受け取ろうとしました。でも尾山さんの真面目な顔を見て、笑うのをやめました。実家に置いてある大事なキン消し。お母さんからこの日のために送ってもらったキン消し。それを聞いて絶対ご本人の前で笑ったらいけないと思いました。もらったことが嬉しくて照れ臭くて、その後は面白おかしく人に話してしまいましたが(反省)

プロレス好きな尾山さんと、一緒にプロレス観戦に行ったこともあります。事前に各レスラーの生まれてからリングで活躍するまでの経歴を、尾山さんはワードで作成し、私に送ってくださいました。待ち合わせの場所も、駅から何歩と歩数で書いてありました。きっと事前にそこを自分で歩いてくださったのだと思います。

プロレスの前か後に食事くらいするのかなと思っていましたが、本当にプロレスを観るだけでした。いつもはおとなしい尾山さんが、試合が始まると身を乗り出して叫ぶ姿が新鮮でした。帰りは私が電車に乗るのをホームまで見送ってくださいました。発車しても、私に向かって何度も頭を下げている・・・。見えなくなるまで。

どうかこの文章を読んで勘違いしないでいただきたいのですが、尾山さんは決しておかしな人ではありません。危ない人でもありません。そして私に対して下心があったわけでもありません。本当に大事な友だちだと思ってくださっていた。それだけです。この記事を最後まで読んでくだされば、それがわかります。


私が小さなシナリオの賞をとった時、
クラスでの祝賀会に参加してくださった上に、ご自身でレストランも予約してくださいました。「◯◯さん(私の苗字)の仲の良い人も誘いますから教えてください」と、配慮もしてくださいました。イタリアンをご馳走してくださって、本当に嬉しかった。いつもぎりぎりの生活をされているようで、その生活の中から私のためにご馳走してくださったことが本当に嬉しかった。

ある年
いつも尾山さんからもらうのは悪いと思い、私から年始の挨拶メールをしてみたことがあります。するとすぐに返信が来ました。

今、実家(新潟)にいて、バスが来なくてずっと待っています。雪がすごくて寒くて凍えてしまいそうで、そんな時に◯◯さん(私の苗字)からメールが来ました。◯◯さんのメールのおかげでとても温かい気持ちになりました。◯◯さん、ありがとうございます。

と書かれていました。尾山さんのメールにはいつも、私の苗字が何度も何度も書かれています。

私がシナリオの学校を辞め、シナリオから完全に離れ、シナリオ関係の友達から離れても、尾山さんからのメールは続きました。年に1回だけれど、とても長いメール。何の内容もないけれど、ただ私の苗字を連呼するだけのメール。

鬱が酷い時、尾山さんに返信がなかなかできず、もうこのまま返信するのをやめようかと思ったことがありました。年に1回のメールしかしない人。もうやめてもいいんじゃないか。でも数日経ってもそのメールが気になって仕方ありません。そこで短いメールを返しました。


鬱になり返信ができません、ごめんなさい。

するといつも1往復だけのはずが、もう1通メールが来ました。

◯◯さん、窓を開けてください。

私は窓を開けました。布団から立ち上がり、尾山さんのいう通りに窓を開けてみました。外の空気を久しぶりに吸いました。

雪の深い新潟で、私のなんでもない年始メールに励まされたという尾山さんが、今度は沼の底にいる私をメールで励ましてくださった。ただ「窓を開けてください」というだけのメールで。

2022年7月31日

今年のメールには、熱中症に注意してほしいという内容と、私が以前東京都練馬区に住んでいたことを突然思い出した話と、自分が来年地元に戻るということが書かれていました。地元に戻るというのは毎回尾山さんのメールに綴られています。つまり何だかんだいって結局帰らずに、ずっと東京にいるんです。でも私は尾山さんの話をいつも信じています。本当に来年、地元に帰るのだろうと信じています。

男女の好きとかそんなこととは無関係の、年に1回だけ互いのことを思い出し、思いやるだけの関係の人です。私がスクールを辞めてから「会いましょう」と言われたことも、「会いましょう」と言ったこともありません。東京と埼玉の距離なのに。

尾山さんが多くの友人に囲まれていたら、私のことを思い出すこともないでしょう。逆に本当に孤独だったら、年に一回のメールではなく頻繁にメールが来るか、実際に会っていることでしょう。尾山さんはメールで自分の心情を語るようなことは一切しません。不思議な人ですが、つかみどころのない人ですが、おそらく今でも、あのキン消しをくださった時と、同じ気持ちでいてくださるのだと思います。

これから尾山さんに返事を書くつもりです。


「友だちの証」は、今も大事に持っています。

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サウナのサチコ


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