【焼鳥屋からプログラマーを目指す四十代の物語】①令和元年11月
まずは自己紹介をします。
四大卒業あたりでバブルが崩壊し、就職氷河期に入りました、ポスト団塊ジュニアのはしりの世代です。
東京で飲食業に就職し、いろいろあって10年。
個人事業主となり、飲食店の店舗経営を請け負う生業で10年。得意分野は焼鳥です。串売って焼いて唐揚げあげて親子丼作って焼酎日本酒おススメして、季節の新メニュー考案して写真撮って印刷してメニューブック作って、SNSにも投稿して、…なかなかのマルチタスクっぷりです。
いろいろあって店をたたみ、しばらく茫然自失のあまり引きこもってぐだぐだしていたのですが(2週間くらい)、思い立って、やさぐれたこころを癒すべく、宮古島に住み込みのリゾートバイトに旅立ちます。令和元年4月。
お休みの日はビーチでちゃぷちゃぷするか、サトウキビ畑の間を散歩して過ごすこと6ヶ月。契約満了によって東京に帰ってまいりました。
11月。出発前の下地島空港の気温は27℃。到着した東京は雨のそぼ降る15℃。寒い。家財道具あらかた処分して宮古島に飛び、また、あらかた処分して、所持品はジェットスター航空の手荷物枠で帰ってきたものですから、着の身着のままですよ。
新居に荷物を置くなり、とりあえずニトリに走って毛布買ってきましたよ。
Nウォームの毛布にくるまりながら、こころに誓ったのです。
あの、かぎすま(美しい島)宮古島に必ず帰るのだ、と。
宮古島に移住したい
さて。宮古島は産業がすくないため、(その分美しい海と自然がある!)わたしの現状のスキルでは就業先はおおむね観光か飲食業に限定されます。
漁師とかサトウキビ農家とか、未経験ですもの。
飲食、接客業にはもう疲れたよパトラッシュ…僕も疲れたんだ…なんだかとても眠いんだ…(←違う業種に転職したい、の意)
そして、残念ながら宮古島(沖縄県)の賃金水準は高くない…(東京都1013円/沖縄県790円)
何かいい方法はないだろうか…???
そうだ!リモートワークだ!どこに住んでも仕事が出来る!しかも収入も見込める!
プログラマーになろう
というわけで、40代の焼鳥屋がプログラマーを目指す物語が始まります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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