知らない事が沢山だ(友人の死を思い出す)エンディングも重要だ
先日知ったことから思い出す
写真は彼女と最後に呑んだ居酒屋での写真の一部
私のGoogleフォトには彼女やいつも一緒だった同期と
呑んだ写真はたくさんある
今日は戦友で会った彼女の死の瞬間を思い出してエンディング支援
もっと学ばなきゃと言う事を書きます
看取りが近づいたと連絡からあっという間の…終末期
2015年9月…
今日が山場と言う日の早朝、彼女の家族から電話が来た
「さっちゃんに逢いたいって」
取るものとらずの勢いで病院に駆けつける
病気と知ったその時からメールの交換も彼女の意思でのみ行い
近づいて良いか、どうか悩み
彼女の家族からは「哀れな姿を誰にも見られたくないから来ないでって言って」って言われているんだよね そう伝えられ
そう・・・可愛い可愛い彼女だったので抗がん剤治療の果ての姿を
他人に見せたくない気持ち 良く解っていた。
その彼女が友人の中で唯一、私を呼んだ。息を引き取る14時間前の事だった
「アイス食べたい」の言葉で売店にアイスを買いに走る
一口、彼女の愛息が口に入れるが「痛い」と言って吐き出す
「ママ、痛いの?…さっちゃん居るよ」
程なく、息が細くなり、医師が「あと数時間ですね」と
全然会ってなかった。
10か月前、12月の横浜駅西口の居酒屋で「胃が痛いんだよね」と
毎年、同期の仲間と忘年会やってね。居酒屋での他愛無い話を思い出す
胃が痛いとか言って焼き鳥食ってたやん
その日から会ってなかったんだ
それが「あと数時間」て、何??なんなの???
苦しくて、胸が痛くて…理解できなくて
一人、病棟の端で嗚咽して泣いた
妹ちゃんが「さっちゃん、ごめんね。ありがとうね
お姉ちゃん、さっちゃんの事大好きだったんだよね だから
今日、きっと最後に逢いたくなったんだよね」と肩をポンポン叩く
家族である妹、彼女の旦那、息子たちは
冷静だったことが印象的
すでにこの10か月の闘病の最後を静かに見守る体制になっていたのか
泣くのは私だけで、恥ずかしい位に嗚咽していた
息を引き取る直前の時間を家族と伴にさせてもらう貴重な有難い時間
忘れることが出来ない
息を引き取った後、しばらく緩和ケア病の部屋にいたが1時間もすると
彼女は「患者」ではなく「ご遺体」となり
ご家族は淡々と葬儀社と話していた。彼女はさっきまで確実に生きていた。
けど、、、、、
人が亡くなると、たくさんの事を一気に決めることを迫られるんだ
時は戻り先日の話し
家族を看取る時まで医療関係者が寄り添っていたが
亡くなれば次の手配
そこで知っておかないとイケない情報が沢山ある事を知った
「故人の葬儀やお墓についての意思」は有ったのか
「菩提寺は有るのか」「お墓は決まっているのか」
矢継ぎ早やである事なんて知らない 亡くなるまで生きているのだから
亡くなった後の事を聞くなんてと思っていたけれど
ちゃんと話を聞いておくことは亡くなった故人やその家族の
思いをケアする為にも 実は重要だってことが良く解った
もっと知らなきゃ 知りたい 知っておかなきゃ
明日も勉強に行ってきます
人生、エンディングも重要だ