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おばあちゃんはエイリアン


インフルエンザに罹かった。
久しぶりの39℃を超える熱に、脳みそが体から離れて寝室を浮かんでいるような感覚になる。筋肉痛と関節痛と倦怠感があるので気持ち良いとまでは言えないが、ふわふわした感覚は普段なかなか味わえない。


スマホ画面を見る気にも、本を読む気にもなれない。
脳内トリップを楽しむことにしよう。
南の島にいることにする。熱で体が熱いしちょうどいい。
そう、ここはモルディブだ。


インド洋に浮かぶ島々。島の周りをぐるっと囲む珊瑚礁。気温は日本の夏ほどには高くないのに、海水温が高い。
温かい海水が気持ちよくて1日に何度も海に入る。


イカ、タコ、カマスのような長い魚に色とりどりの熱帯魚。ドロップオフの手前をシュノーケルしながら島の周りを一周する。歩いても泳いでもあっという間に一周できてしまう小さな島。

水上コテージから島の上にあるレストランまでの途中、何かが穴を掘っている。蟹だ。巣穴なのか懸命に掘っている。
桟橋から指を差しながら「エイが泳いでいるよ」とどこかの国の人が教えてくれる。

実際にモルディブに行ったのは2012年。
ドイツから来たおじいちゃんは、1ヶ月滞在していると教えてくれた。私たちは8日間だと伝えると、目を丸くして驚いた。
「それっぽっちで帰るのか」

サラサラの砂浜とバスクリンをぶちまけたみたいな青い海。私がこの世の楽園みたいな海に浮かんでいた2012年の冬、祖母は天国へと旅立った。


96歳だった。
痴呆が始まってから施設に入っていた。
丈夫な人で、大きな病気をしたことがなかった。料理と裁縫が得意で、どんなときもご飯はきっちり三食たべた。
いつも身の回りはきちんと整えておく人だった。孫には厳しく、部屋を散らかしておくと怒られた。
耳が悪くて大きな音でテレビを見ていた。1日中緑茶を飲んでいた。母と折り合いが悪くて、何度か大きな言い合いをしていた。


私が知っているのはそれくらいだ。
祖母がいつもどんなことを考えていて、何に感動して、何を大切にしていたのか。そういうことは何も知らない。
祖母は一体、どんな人だったのだろうか。


大きな病気をしたことがない祖母は、小さな病気をすることもなかった。
風邪をひいているのも見たことがない。

ほとんど病院に行くことがない祖母が、怪我をしてレントゲンを撮りに病院に行っていたことがあった。犬に餌をあげるときに庭で転んで、置物の壺におでこをぶつけた。おでこに大きなたんこぶを作った。
当時、80歳を過ぎていた。


肉まんと同じくらいの大きさのたんこぶが、おでこにできていた。後にも先にもあんなに大きなたんこぶを私は見たことがない。
紫がかった肉まん大のたんこぶ。
横から見るとシルエットが人間離れしている。不自然に突き出たおでこ。
エイリアンみたいだった。


異常無い方が不思議なくらい異常な腫れ方をしているというのに、病院でレントゲンを撮った結果、骨にも脳にも、どこにも異常が無かった。


他にもある。
お風呂場で転んでガラス戸が全壊したこともあった。

ガラス戸は全壊したが祖母は無傷だった。
体のどこにも傷がない。全裸で転んでガラス戸は粉々なのに。もしかして本当にエイリアンなのか。いや、エイリアンが頑丈という保証はない。体が鋼鉄でできているのかもしれない。
新しいガラス戸が入るまでの間、扉はしばらくビニール袋で塞がれた。
間に合わせて塞いだビニールには「うらしま」と書かれていた。地元の回転寿司屋の折を包む風呂敷型のビニールだ。


エイリアン、もしくは体が鋼でできているのかもしれない祖母は、嫁いでから実家に帰ったことがほとんどなかった。
畑仕事も家のことも祖母に任せっきりで、姑と体の弱い祖父は二人して日がな一日お茶を飲んでいたという。私だったら耐えられない。逃げ出したい。でもその当時の祖母に逃げていく先なんて、きっと無い。

海外に行ったことのない祖母は、バスクリン入りのお風呂には入ったことはあるけど、同じ色の海があるなんて知らなかっただろう。実際見たらなんと言っただろうか。


姉の結婚式に外国人の参列者がいた。
初めて見るアジア人以外の人種の人々。
ものすごく大きな声で「本物を初めて見た」と驚いていた。
耳が遠いので声が大きいのだ。
ウェディングドレス姿の姉を見て
「あんな格好で寒かねえかねぇ」等、大音量の独り言が続き、来賓の皆様の失笑を買った。家族でハラハラした。


仕事をしていた母に代わって保育園のお迎えに来てくれることがあった。
母に迎えに来て欲しかった私は祖母が来ていると不機嫌になった。手を繋ぐのを拒んだような記憶がある。


あの頃は祖母のことが好きじゃないと思っていた。でもそれは本当に私の気持ちだったんだろうか。母に味方したくてそう思っていたのかもしれない。

今となっては何故祖母のことを嫌ってしまったのか思い出せない。無責任だ。でも、好きとか嫌いなんてそんなもんだろう。
大体みんな無責任に人のことをなんとなく好きになるしなんとなく嫌いになる。


おばあちゃんは、やれる限りのことを私にしてくれた。えばちゃんの愛は、私を否定しないという形だったけれど、おばあちゃんは別の形で、私を守ろうとしてくれたし、愛してくれていたのだと思う。


そう思い至るまでに、時間がかかり過ぎた。そんなことばっかりだ。
間が悪いというか間に合わない。
相手の優しさや真意が少し分かるころには、もう随分と遠いところにいる。ちょっとやそっとじゃ会えないところにいる。

そうならないうちに、なんていうのはやっぱり無理で、だから「親孝行したいときには親はなし」なんて昔の人も言ったんだろう。

それならせめて自分が誰かに向けたもの、親切さや愛みたいなもの、そういうのは綺麗さっぱり忘れて生きようと思う。あんなにやってあげたのに、なんて思わずに済むように。何しろやってもらったことはすっかり忘れてしまう私なのだから。


祖母はインフルエンザにかかったことがあったんだろうか。
死んでいる人に聞くのもなんだけど、健康の秘訣はなんだったのか聞いてみたい。







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