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綿菓子ドッチボール

例えば私が何かを見て深く感動したとする。すると、私の心の中がキラキラした綿菓子のようなもので満たされる。この繊細で素敵なキラキラを友人家族等誰かに伝えたい、知ってもらいたい、と幼い私はよくそう思ったものだ。成人した今でもこの綿菓子を丸ごと取り出してドッチボールのように他の人にパスできたら、デジタル情報が1ビットの欠損もなく複製できるように、私の受けた感動や心持ち、綿菓子のそのまんま全部を苦労なく渡せたなら人生どんなに楽だろう、なんて考える。握手でもするみたいにふわっと。でもそれが難しいから少しでも綿菓子ドッチボールに近づけるように人々は苦心しながら言葉を駆使して伝えようとするのだろう。noteはドッチボールに挑戦する人で溢れている。ワクワクの場だ。


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