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人間一生物見遊山

江戸時代、人々は「人間一生物見遊山」と考えていたそうです。あちこち見て歩き回り、見聞を広げ交友を広げ、死んでいけばいい」と。

ものに価値をおくのではなく、生きる時間をどう過ごすかに価値をおく。

確かに火事と喧嘩は江戸の花という言葉があるくらいですから、高価なものを買ったとて、一回火事に遭えば、無になってしまいます。
お金は、モノではなく生きているときの楽しみ(愉しみ)に遣うという考えになるのも頷けます。

楽しんだものに、旅、芝居見聞や相撲の応援等が挙げられるそうです

https://note.com/sachiko375/n/n4aac241ab18e


今と違い、車もテレビもネットもない時代。
見たかったら何日もかけて行くしかなく、知りたかったら知ってる人のところへ何時間、何日もをかけて、赴いて聞くしかありません。
もう二度と来れないだろうからと覚悟して体験できた知識景色は、自分の中に根強く残ったと思います。


【可愛い子には旅をさせよ】、この文句も、江戸時代に作られています。
前述したように上滑りの知識学問ではなく、自分の足で苦労して身に付けたものにはとても価値があると信じていたからうまれた言葉なのでしょう。

後に残らないものにお金を使うことが江戸の人たちの粋。

とはいえ、江戸初期は、庶民はほとんど旅が出来ませんでした。巡礼、修行の旅、武士のお役目の旅などに限られており、物見遊山の旅が出来るようになったのは8代将軍吉宗の治世からでした。

ですから、冒頭の「人生一生、物見遊山」は、吉宗治世以降の庶民の生活が安定し円熟した時代に出来た言葉です。。

日本も概して円熟した時代をむかえています。

ふるさと納税の返戻金に、体験型が増えてきました。
「イルカと遊ぶ」「鉄道での食事」等など。

これもモノではなく生きている時間にも価値をおく、という世相の表れですよね。

頑張って得たお金を、自分の生きる時間を彩るために遣う、とても贅沢で素敵な遣い方です。

ここで問題です。
では、
今、欲しいモノ、は何でしょう?
今、したいコト、は何でしょう?

粋なお金の遣い方、私なら何かなぁ。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。






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