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「書くのが苦手」だからって苦しまなくていい

わたしは書くのが比較的好きだからいい。でも、書くのが嫌い、苦手って人は結構、多いはず。それなのに、起業しようとか自己表現しようとすると、どうしたって「書く」ということがつきまとって、「うまく書けないんです」って苦しくなっちゃう人が多い気がする。

特にわたしの周りのスピリチュアル系が好きなみなさまは言葉にするのが苦手。「言葉にできないんです」と言われますが、今日は「だからって自分を責めなくてもいいんですよ」という甘い言葉を囁きたいと思います。

ただ、だからと言って書く必要があるのに書かなくていいと言うつもりはありません。書けるようになりますし。どうしたら書けるようになるかも、おいおい書いていきますね。


書く力というものは現代において、それこそ異世界ならとんでもない魔法のように威力を発揮するものです。冒険に出るなら、それはもう強力な武器になります。

書く、ということは学校でも卒業してからも、誰でもそれなりにはやってきていて、字が書けない人はさすがにいない。だから、誰でもできると言えば誰でもできる。けれどもそれを、「この世を生き抜く武器のひとつ」として考えた場合、その武器ひとつで何億も稼ぐ人もいれば、道に落ちてた棒切れ1本分にしかならない、という人もいる。もちろん、別な武器はいくらでもあるので、生きてはいけるけれども。

特に起業すると考えた場合、文章を書く力があるかないかで成果は全く違ってきて、なかったら戦えないくらいの重要な武器で。だからこそ、どこに行っても言われてしまう。書け、書け、書け、書け、書け、書けと。

でもみんな、そんなに書けるものなんだろうか。あれだけ読書感想文に苦労して、面倒くさい作文に疲弊しても、大人になったらすんなり書くことができるんだろうかと常々、不思議に思っていました。

そうしたらやはり、「書けないんです」「言葉にできないんです」と相談を受けるようになりました。スピ系の仕事をしたいけれど、商品やサービスを説明するのが下手なんです、とか。普段から自分の気持ちを言葉にできなくて、どうせわかってもらえないだろうって思ってしまうんです、SNSにも投稿できなくて、とか。

(SNSに投稿できないという場合、言葉にできないばかりではなくて、書いたものを読んだ人にどう思われるかが怖くて書けないという場合があるので「書けない」と一緒くたにはしない方がいいです。書けないと思っているのか、それとも上げられない、なのか。)

「書けないんです」「言葉にできないんです」という人たちと話していて思うのは、とても繊細で感性の鋭い方が多くて、そしてすごく完璧主義だなっていうこと。自分の感じていること、伝えたいことを100%言葉という形にして伝えて、相手にそのまま受け取ってほしい、と思う。

でも、それ、どう考えたって無理なんです。

例えば「赤」という色ひとつとっても単に「赤」と言えばいいものを、感性が豊かな人は、自分の思う「赤」とは微妙に違う明度や深さや自分が受けた感覚を言葉にしようとする。「赤・・・よりももっと深い・・・紅色?違うよな・・・なんていえば良いんだろう・・・なんかもっと心地いいような色で・・・」とか考えてるうちに、相手に「何言ってるかよくわかんない」って言われたり「めんどくさい」って言われたりする。あぁ、伝わらないんだなと絶望したこともあったかもしれない。

でも、例えば「りんご」って言葉にしたって自分がは丸いりんごだと思って言っても、相手は切ってあるやつだよね?と思ってるかもしれないし、自分が思う「友達」と相手が思う「友達」の基準は違う。「つらいときに、夜中の3時にでも、連絡していいと思えたら友達」っていう人もいるかもしれないし、一緒にごはん行ったらもう友達っていう人もいるかもしれない。

多分、人それぞれ使っている言語は、日本語のように見えて日本語ではない。わたしの使う言葉は「わたし語」、佐藤さんの使う言葉は「佐藤語」それを翻訳しながら会話していて、なんとか9割は通じている、ような気がしているだけ。だから「話の通じない人」はたくさんいるし、これだけ本が出ているのに、その本当のところを受け取ることができない。

言葉というものは、100%通じることは決してないんです。

それを、普通に感覚であればなんとなく無意識に暗黙の了解で受け入れていくことができるけれど、感覚の鋭い人というのは、自分の感覚と言葉がズレていることにも気づく。そして相手が受け取っているイメージが、自分の伝えたかったこととは違うことにも気づく。だから「伝わらない」って思って「伝わったらいいのに」と願う。ひどいと、自分も何となく感覚でわかるんだから感覚で察してほしいと思う。いや、それはあなたの特殊能力であって。そしてもっと言うと、あなたが思っている感覚が合ってるかどうかもわからないんです。人は、自分が見たいようにしか見ないし、聞きたいようにしか聞かないし、自分の思うこと、感じることが正しいと思いたい生きものです。感性が鋭ければ、感じているイメージがはっきりしすぎて、違うかもしれないっていう視点を持ちにくい。自分の世界がはっきりしている、ある意味、本当にすごい才能なんだけど。

そうやってどんどん「書けない」「言葉にできない」「伝わらない」って自分の世界に潜っていってしまう人を見る度に言いたくなります。実際、言います。

100%伝えるのは無理だとまず知ること。そして、完璧主義を捨てること。その上で、ズレているのは承知でも言葉にし始めること。そしてその言葉をイメージに近づけつつ、相手にどう伝わっているのかを見ること。

そして、相手が自分の伝えたいことを受け取ろうとしてくれていることに気づき、信頼すること。

100%、そのまま伝わることはなくても、お互いにわかり合おうとすることそのものが素敵なことなんです。気持ちを知りたいって思ってくれる人が目の前にいること。それがとてもしあわせなことなんです。その気持ちを「わかってくれない」って言ってないことにはしないでほしい。だから言いたいことが言えないということに苦しむんじゃなくて、言葉を覚え始めた赤ちゃん同士がそれっぽく会話しているように、お互いにわかり合おうとしていることを楽しんでほしいなって思います。




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