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【美術室】写真と映像の答え合わせ

クリスマスも終わり、今年ももう終わりですね。
皆さんはどんな一年だったでしょうか。

私は今年、様々な出会いがあり、たくさんのことを「知る」一年でした。
その中の1人、高峰秀子さんについて前回記事を書き、その際宿題にしていた、「映画鑑賞」を今週行いました。今から80年近く前の映画を見ることはあまりなかったので、内容以外にも新鮮に感じた部分がありました。

今回は、観た映画の感想と、前回お話しした写真と映像の違いについて感じたことを綴りたいと思います。

前回の記事を読んでいない方は、こちらから





銀座カンカン娘


文化の違い

タイトルの通り、今週『銀座カンカン娘』を観ました。この映画は1949年に制作され、高峰秀子さんと、東京ブギウギで有名な笠置シヅ子さんが主演の映画です。

あらすじはざっくりとこんな感じです。

高峰さん演じるお秋と、笠置さん演じるお春はそれぞれ画家、声楽家になるためにある家に居候している。しかし無名の芸術家のため、お金が無く、仕方なく街に仕事を探しにいく。そこで出会った岸井明さん演じる白井哲夫に誘われて、バーで歌ってお金を稼ぎ始める。

『銀座カンカン娘』あらすじ

そこで歌われるのが、タイトルにもなっている『銀座カンカン娘』です。
個人的に、昨年放送されていた連続テレビ小説『ブギウギ』を観ていたので、笠置さんも出演されていて驚きましたし、私が一番好きな「ラッパと娘」を劇中で歌っているのを聴けて、我得な映画だなぁと思いました。


話は映画の内容に戻ります。今から75年も前の映画なので、当然時代背景が現代と全く異なります。

まず気になったのが、「犬」についてです。現在では人間と同じ家の中で飼っている家庭が多いと思います。しかし、映画の中で犬は汚いものとされ、家に上がってきては外に出そうとします。その煩わしさから、居候先のお母さんから、飼っている犬のポチを捨ててくるように命じます。クレヨンしんちゃんに出てくるシロは犬小屋がありますが、思えば最近では犬小屋はほとんど見なくなりましたよね。

次に気になったのは「窓」です。常に家のドアや窓は開けっぱなし。現代でも田舎では鍵をかけない家があるので、ここは気になったポイントではありません。私が驚いたのは、網戸がないことです。
お春とお秋は2階に住んでいます。ポチを捨てる事が出来なかった2人は、お母さんには内緒で2階でポチの面倒を見ることになります。そのポチを2階に運ぶ方法が、ポチをカゴに乗せて、瓦屋根の上からカゴを引っ張るという方法でした。そのアグレッシブさに驚きましたが、同時に内緒でスリリングなことを行うワクワク感も抱きました。

最後に気になったのが「警察のユニフォーム」です。現代の警察官でイメージされるのは、割とピタッとしており、シャツをインして防弾チョッキを着ているものだと思います。一瞬なのですが、映画の中で出ていた警察官の服装は、シルエット的にブレザーのような緩さがありました。見回りのシーンだったのであまりカチッと感がなかったのかもしれません。一瞬でしたが気になってしまいました。(今度京橋にあるポリスミュージアムに行ってみようと思います。)


女優・高峰秀子

前回の記事で、写真に映る高峰秀子さんについてご紹介しました。圧倒的花と被写体としての素晴らしさを烏滸がましくも綴ったのですが、映像の中でも、思わず目を離せない瞬間がありました。

高峰さんの演技は、すごく二次元的だと思いました。観た作品がミュージカルコメディだったことも起因していると思うのですが、表情がコロコロ変わって、動きひとつひとつを目で追ってしまいました。でもそれが、決して大袈裟ではないのです。まるで決められた動線をリズミカルになぞって動いているかのようで、動きに無駄のない感じを覚えました。操り人形とも思わせない、高峰さんの演技の魔法なのだと思います。一方、笠置さんの演技はとても自然体で、緩さと自然さのある演技のため、その正反対の演技がちょうどよく収まっているのは、なんとも不思議な感覚でした。



写真と映像の答え


三次元の映像

さて、ここでやっと、前回の宿題に対する、私なりの答えをお話ししたいと思います。前回私は写真を「抽出された世界の新たな入り口」と記しました。その先に見えるものが入り口から覗いているので、物語が見え、動いているように感じています。

では、映像とはなんなのか。それは「箱」だと思います。今まで書いてきた文化的な記録、物語の記録、成長の記録。そういったものをある程度の時間を切り取ったもの。イメージ的には、川にいるカエルを両手で閉じ込めるような、そんなものです。なので、きゅっと留める、固める、そんな静のイメージが映像にはあります。

映画やドラマには場面転換というものがあります。出てくる登場人物や場所が変わるため、シーンが「切り替わって」いきます。そうしたコマ切れも、その場面を閉じ込めている感覚に繋がり、人物や街は実際には動いているけれども、静を感じるのだと思います。


二次元の映像

映像には二次元と三次元が存在します。写真は全て三次元です。写真でいう二次元は絵になります。先ほど述べた静のイメージは、三次元の映像に抱いたものです。私は、二次元の映像にはむしろ、写真と同様の感覚を抱きました。

二次元の映像にあげられるのは、アニメーションや短いMVです。これらの特徴として、無駄がありません。その表現に必要な表情や動きを行う。それに余白がないので、動を感じるのだと思います。

この「無駄」こそが、写真と映像の違いなのではないかと思いました。
完璧な人の、少しだらしない部分を求めるように、無いものを見ようとする。これが写真。無駄だらけの中で何を表現するのか答えを決める、無駄を排除する。これが動画なのだというのが、高峰秀子さんを通して出した、写真と映像の違いに対する、私なりの答えです。



今年1年を振り返って


この記事含め、私の投稿に出会ってくださった皆様、お世話になりました。
ありがとうございました。

まだnoteを始めて2ヶ月。拙い文章ではありますが、言葉を綴ることによって思考を深める事ができ、割と充実した時を過ごせたなと思います。

来年一発目の集合場所は【屋上】です。散歩についてお話ししたいと思います。最近人に「散歩が趣味なんです。」とお話しする事があり、なぜ私は散歩が好きなのかを考えてみたくなったので、このテーマにしました。
抱負とかではなく、気負わず書きたいものを書いていきます笑

それでは皆さん、良いお年を!ばいばい!



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