居場所が受け入れるもの
「凪のお暇(なぎのおいとま)」という漫画がすごく面白かった。ちょうど今ドラマをやってたので、読み始めてみた。
空気を読みすぎて職場で過呼吸になった主人公の凪(なぎ)が、仕事もやめて家も物も捨てて、サラサラストレートの髪もコンサバな服も彼氏も捨てて、別の暮らしをはじめる。
一番面白かったのは、5巻で凪がお暇をお暇(おいとまをおいとま)して、あるスナックのボーイとして働き始めたことかもしれない。
スナックには、愚痴を吐き続け、他の客にも上から目線で、我が物顔で振る舞うサラリーマン3人組が来ていた。
3人組「上の奴らも下の奴らもクソすぎ」「大したビジョンもなく志だけ高くてサムイってか」「言語チョイスが終わってんだよな」「ちょーおまー」「あいつら生きてて恥ずかしくないのかなって思わね?」
凪「無理…この人たちの悪口のシャワー聞いてると脳が濁る」
Twitterや2ちゃんねるのなかのような罵詈雑言が繰り返される。でも「悪口しか共通言語のないかわいそうな人たちだと思えば優しくできるし」と言う凪に対して、偶然遭遇した元カレの我聞慎二はこんなふうに返す。
「なんで上から目線なんだよ お前にとって「いい人」じゃない人間は汚物として排除なのかよ」
「こういう店ってそういう吹き溜まりをぶちまける場所でもあんだよ 優しさで回ってるっつうか だからお前には無理」
凪が言う「優しくできるし」と、慎二の言う「優しさで回ってる」の意味が180度くらい違うことに唖然とする。
もちろん、「汚物として排除」すること自体が間違っているわけじゃない。インターネットや道行く中で出会う罵詈雑言には耳を傾けたくないし、その言葉を聞くだけで精神が持っていかれてしまう人は多い。自分の精神を守ることは何よりも大事で、自分がご機嫌でいるために、さらりと罵詈雑言をミュートしたりブロックしたりすることは、とても大事だと思う。だから、「汚物として排除」という言葉にだれしもが胸を痛めることもない。
だけど、もし、なんらかの居場所を作ろうとする人や社会的包摂をめざした場を作ろうとする人なら、この無自覚な「上から目線」は怖い。慎二の言う「だからお前には無理」という言葉は、凪が人としてだめとか空気読めとかそういう意味じゃなく、それを仕事にするのだとしたら無理、という意味だ。
(ちなみに慎二はものすごいモラハラキャラだから、ここでこの台詞言わせても聞き入れない読者は多そうで、それについてはとてももったいないシーンだ。なんなら慎二も凪に対して圧倒的に上から目線だし)
↑「凪のお暇」、絵柄が苦手な人もいるかもですが、おすすめです!
上から目線は無知から起きる
わたしは一時期、昼間は保険の営業、夜はキャバクラで働いていたことがあった。詳しくここでは言えないけれどそれぞれにこみ入った事情を抱えていた。お客さんたちは、得体もしれない保険の営業マンにたくさんの秘密や愚痴をこぼしていた。噴火しそうな火山を見るような言葉の数々だった。
夜のクラブでのお客さんはもちろん男性のほうが多い。紳士な方もとても多いお店だったけど、お酒も手伝って罵詈雑言を繰り広げる方もいる。昼間お話した女性の旦那さんはこんな感じなのかなと思いながら話を聞く。しかし、よくよくお話を聞いていると、ほんとうに様々な背景によってその罵詈雑言が生み出されているのだと気づく。もしわたしがおじさんと同じ状況下で生まれて育ったら、間違いなく彼のようになってしまうと思った。
わたしはいまだに上から目線になっている自分に気がつくことがある。何度も何度もその自分に気がつく。すごく恥ずかしいし、情けない。上から目線というのは、無知から生まれる。学ばないことから生まれる。この世に知らないことがあるということは、それだけ上から目線になりうる自分がいるということだ。
つくり手にとってやわらかい場であるはずがない
ある日、同僚がお客さんへの不平不満を言うと、クラブのオーナーがこう返した。
「明らかにルール違反な客ならわたしがNOをいうよ。でも暴力してるわけでもなし、うちの店のルールには違反してない。社会では辟易されることかもしれないけど、うちは受け入れる。居場所がなくなったら犯罪者が増えるだけ。うちみたいなとこはクソみたいな店に思うかもしれないけど、こういうところが社会支えてんの。で、そういう居場所みたいな場が、つくり手であるわたしたちにとってやわらかい場であるはずがないでしょ。」
つくり手と受け手を分けている時点で、支援する/されるの関係をつくらないコミュニティ運営論とは、真逆のことを言っているのかもしれない。また、もちろん従業員が幸せでなければお客だって幸せにはならないから、働くことそのものを良くすることは必要だ。だけど、社会の吹き溜まりを受け入れるには、相応の覚悟と精神的な強さが必要になる。そして、自分の「上から目線」に常に自覚的であれる強さも必要だ。それは、誰しもが仕事にできることじゃない。
いろんな企業で働いたけど、今になって深みを増すのは、社会の吹き溜まりとなっていたキャバクラで働いたことやひとりひとりのご家庭を地道に訪問して話を聞いた経験だったような気がする。
凪はこれから、かのスナックで働き続けるような気がする。正直に、「恥ずかしい」と思うことができることは大事だし、わたしも正直「こんな事情もわかってなかったなんて恥ずかしい」と思うことばかりだ。でも、そこからスタートしたい。
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おまけ:採用活動の難しさ
ということで、ここまで読んでくださってありがとうございました!
おまけで、採用活動の難しさについて書こうと思います。
いま、ある福祉系団体の採用広報のお手伝いをしているのですが、これがとても難しいです。社会的包摂を担いたいと言う人が、【自分がただその優しさを受益したいと思うから働くのか?】【それ以上に、ある程度の痛みを覚悟してでも成し遂げたいと思うのか?】は面談で見分けがつかないからです。また、無自覚な「上から目線」も、面談では気づきづらいです。本人だって気づいていないから、当たり前ですよね
その採用のお手伝いをするなかで、なんとなくこの面談質問は使えるなーと思っているものがあるので、最後にそれをちょこっとだけシェアします。※たいしたことないし開発中なので、以下は有料&マガジン読者さん限定にさせてください。ちなみに本業のD×Pでは、広報と資金調達担当の面談しかやったことないので下記の知見はあんまり活かされてないです。汗)
①ボランティア、パート、業務委託として働く仕組みを導入して、まず一緒に働いてみたほうがいい。
→面談質問じゃないんかーい!と思われたかもですが、とにかく突然正職員にするのはリスクが高すぎるので、一緒に働いて見極めたほうがいいです。ある一定程度働くと、いいところもあかんところも見えてくるし、間違いなくアウトな「無自覚さ」にもやっと気づきます。特に日本の雇用にまつわる法律上、正職員になってしまったあとだと取り返しがつきません。
逆に、そういう試用期間的な仕組みを作るのであれば採用コストが下がることになるので、そのぶん正職員の優遇をおもいきりよくしたほうがいいと思うし、わたしはD×Pでそういうふうにしていきたいなーと個人的におもってます。
②その応募者と一緒に働いたことがある人にリサーチする。
→これも面談質問じゃないんかーい!って感じかもしれないのですが、やっぱり一緒に働いたことがある人の意見は客観的だし、すごく貴重です。ただし、働く環境によって本人が才能を押しつぶされていた可能性は高いので、そこだけは留意します。特に悪いことしか言ってこなかった場合は、一切判断の基準にしないようにしています。「こういうところが働きやすくてよかったです。ここはちょっと心配かもしれないけど、メンバーや環境によるとおもいますよ」くらいのフラットな意見だと確度高いです。
③面談質問を工夫する
・「一緒に働いた人に、どのように評されたことがありますか?それはどのような事実からですか?」→客観性見える
・「苦手な人はいますか?それはどういう人ですか?(これから仕事で目の前にそういう人が来た場合どうしますか?orそういうとき仕事ではどうしていましたか?)」→他者への視点がわかる
・「それは実際の業務ではどんなふうに現れましたか?」→実務ベースで知る
→面談でよくある質問として、得意なこと、苦手なこと、企業への共感度合いなどの抽象的な質問があるとおもうのですが、それをぜんぶ事実や業務実態にもとづいて回答してもらうとよいです。そしてそれはなるべく仕事上での事実にしてもらうほうがよいかなと。※お金を介在してなくても地域活動でもいいと思いますが、受益するだけの意味での「趣味」とはごっちゃにならないようにしたほうがいいかと思います。
ということで、最後のおまけまで読んでくださった方、ありがとうございました!