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やり切るってなんなんだ?

やりきった。
やりきる。
やりきりたい!!!

そんなワードを最近よく耳にする。

やり切るってなんだ??

私の中でこの言葉の定義がすごく曖昧だなぁと、
映画を見た帰り道。
夫婦のトークテーマは”やり切る”について。笑

人生で何度か
やりきった!と感じた事がある。

水泳教室
文化祭のミュージカル
結婚式
OLの仕事
ハンドメイドのお仕事

私の中には
やりきった!と胸を張って言える事と
やりきった感はあるけどもにゃもにゃ・・・な事があった。

この違いはなんなんだろう。

旦那さんは勤めた会社を退社した日の
帰り道に
「やりきったぁー!」と叫んだ事があるそうだ。


やりきる!とは
目標の数字や日にち、具体的な行動など
決めたことを実行し、終えた時に使ってる言葉なのかもしれない。

文化祭も”その日”があって、そこに向かってできる限りの準備をして
”その日”を終えてやりきったと思う事ができた。
結婚式だってそうだ。

OLの仕事は退職日というやっぱり”その日”があって、
そこまで全力で勤め上げ最後オフィスを出た時に
”やりきった”と思う事ができた。


やりきる事は終わりとセットなのか?

先日、辞め時がわからず、
細々と続けていた”セッション業”を辞めた。

やりきった感はもう何年も前から感じていたのに
終わりの日を決めないがためにやりきった!と胸を張れずにいた。

最後のセッションが終わった日の帰り道
私はやっぱり
”やりきったぁぁぁぁぁ!!”と思う事ができた。
その日のそれだけじゃなくて数年間のそれに対してだ。
なぜだかポロポロ泣けた。

もにょもにょしていた行き場のない”やりきった感”を抱え続けず
”その日”を決めてあげてよかった。

いい大人の私たちは”その日”を自分で決めなきゃいけない。

区切りのない事柄に対して私は
何かを成し遂げないと自分を認めてあげる事ができなかったんだと思う。

だけどその成し遂げる何かってなんなんだろう。
私はその何かすら決めていなかった。笑
そりゃあ終わりはいつまで経ってもこない。笑


ぽわんとしたやりきった感を感じ始めたら
きっともう終わり時の合図なんだと思う。

それを認めて、区切りを自分に与えてあげる。
そうする事で次に進めるなぁと思う。

やり切るとは
自分がやってきたことに対して認め、区切りをもうけて終えること。
(2024年の時点での私辞典。笑)

きっと
わんこそばを30皿食べ切る!
ことと
思い入れのある仕事をやり切る!
ことは
やり切るという意味では同じなんだろう。

だけどその先で自分を好きだと思えるのは
そこまでの過程に感動できるのは
そのことについてエネルギーを注いだ分だけなんだろうなと思う。

頑張った後のビールは美味い現象に似てる。


私はきっとセッション業は向いてなかったと思う。笑
だからこそ
どうしたら伝わるんだろう?と考えたり
過去自分が問題だと思っていたことに対して問題だと思えなくなって悩んだり
そういう事を繰り返していた数年が実は大切で

最後の日を決めるのが嫌で
だけどやっぱり決めてよかったと思っていて。

向いてないなりに
一生懸命やっていたから、
何か大きな成果を期待してしまっていたのかもしれないなぁ。

あぁ恥ずかしい。


そんなタイミングでボスからキャンドルが届いた。
メッセージは
「You are doing great work」
「あなたは”すでに”いい仕事をしているよ」という意味とのこと。

ポロポロ😢

やりきった!と認める事は自分にしか出来ないけど
その過程を"すでに"認めてくれている人は近くにいてくれたんだなぁと。

私も
それが経過途中で終える前の段階だとしても
よくやってるよ!と
言ってあげられる人で在りたい。

↑↑ MYボス











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