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#20 ひとりの利益から、仲間でつくる”ふくらむ可能性”へ 〜拝啓半年前のわたしへ

今日は半年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

何書こうかな・・・と間があって。ふと、昔のノートに何が書いてあるかなと思った。
わたしはデジタル(iPadのGoodnote5)でノートを書くことも増えたけれど、今でも気分的に「紙だな」という時は紙のノートに書き殴るようにして書いていることがある。

今の現役の1つ前のノートをパッと取って、パッと開いたら結構いやな感じのメモが書いてあった。笑

3月15日水曜日のメモらしい。7ヶ月前だ。

この頃は4月にさちえるスクールをオープンすべく、3月は毎日YouTubeライブ配信を始めた頃。さちえるスクールをオープンします!と言っていたので、自分でなんとか60本の動画を作ろう!なんとかスクールをリリースしようと精一杯に走っていた頃だった。今のように、YouTube(さちえるチャンネル)が見られておらず、登録者数も47人とかだったので、まさにきっかけで伸び始めたのだった。

この時は、確実はわたしは一人でスクールをやるつもりでいて、そこに向けて準備していくイメージだった。そんな中でのこの日。毎週お願いしている、ばたちのセッションを受けていて、ばたちから、「ばたち・もりこ・さちえるでやるスクールにするといいのでは」、というアイデアが上がってきた。

「ばたちの言うことは、わたしが見えている半年ぐらい先の景色を反映している」・・・と言うことは、それまでの実績からわかっていた。わたし自身がもらったアドバイスを実践すると半年後には形にも結果にもつながっていたし、びっくりするくらいばたちはそれを自分にいいように使っておらず、わたしにいいようにアドバイスしていることもわかっていた。

なので、ばたちが、3人でスクールをやったほうがいいのでは?と言ったら、かなりの精度の高さでそうしたほうがいいのだ。

頭では理解ができる気もしたけれど、次の日のわたしが書いたのはこの問題のメモだった

見せてしまおう。これだ↓

「これをあんまりよく思っていない」「うたがい、否定的な姿勢」と書いている。
この時は、まるで3人でやるメリットに目が向いていなかったのだ。

自分が用意しないといけない。自分がなんとか頑張って作るスクールを、分けないといけない・・・みたいな感覚もあった。

基本的に、わたしは自分にも周りの人にも嘘がつけない。ので、このへんのニュアンスももれなく二人には伝わっていたと思うんだけど、「さちえるの腹に落ちてからでいいよ」とわたしのペースを待ってくれていた。

この後、さちえるスクールが予告通りに、4月にオープン。そして、その後、6月5日にリニューアルオープンという形をとり、ばたち・もりこ・さちえるの3人でやるスクールとして、mosabaカレッジが誕生した!

mosabaカレッジの活動については、ちらっと知っている人もいるかもしれないけれど、毎月、ばたち・もりこ・さちえるそれぞれが主催の会を開き、それぞれのノウハウや、時間や、知見を惜しみなくシェアする場所になっている。10月1日に開催した、さちえるマルシェでは、前のnoteにも書いた通り、30点以上の作品。そこから波及効果でそれぞれができることが増える、など、想像以上の形に進化している

今、11月1日にオープン予定で準備している、「さちえるフリーランス基礎講座」も、mosabaカレッジメンバーとしてmosabaの全活動に参加できることが、かなり大きなポイントになっている!

半年後のわたしからしてみたら、ほら!という感じなのだ。
ばたちの言ったことは半年後に理解できるようになってんだ!!!と。

単にばたちの予言がすごいって話でもあるんだけど、せっかくだから学びを加えておこう。


前述したみたいに、過去のわたしは、自分主体でやる活動は、自分が主であり、引っ張るからこそ、わたしだけに利益が入ることを結構重きを置いていた。長期的に得だよ、と言われても、周りの可能性に賭けるほど余裕もなかったし、お金も時間もなかった。

ただ、断言すると、それがわたしの器だった、という話なのだ。
そろばんで計算したらわかりやすくGETできる金額しか考えていないから、それ以上の可能性になることもない。それだけの世界で生きていた。

わたしの周りには幸い、ばたちやもりこをはじめとする素敵な人たちがいてくれるおかげで、ふくらんでいく可能性に賭けることを体感で覚えることができたのだ。

今は、築いてきた信頼もあるから。それぞれが怠けるだなんて思っていない。誰かにとってマイナスになることをやることも絶対にない。お互いに高め合える道を選べる人たちだ。


「ずいぶんやおうなったよねぇ」今日のセッションでばたちが言っていた。
広島弁で”やおう”は”やわらなくなった”の意味である。たぶん。

数年前のわたしは、やっぱりどこかで相手に多く取られることに怯えていた。与えたとしても意味がない現実を怖がっていた。だから、そういう現実しか周りになかった。
でも、もらったきっかけであっても、ふくらむ可能性にかけて、仲間を信じて、自分も立って、選択して、創り続けている今を選べたことに誇りを持ちたいと思う。

伝え方はいまだに難しいけれど、mosabaカレッジはとっても素晴らしい場である。これは今後よりふくらむ可能性だ。わたしはさらに熱を込めて、新しい可能性を吹き込もうとしている。

うらやましい人は、mosabaカレッジに来るといいよ♪


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