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#65 誰にも伝えなくていい日常を伝える意味 〜拝啓きのうのわたしへ

今日は昨日のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

誰にも伝えなくていいだろうに。

わたしはたくさん発信をしている。仕事のために発信している。けれど、それだけのためなのだろうか。

昨日のnoteはどちらかというとしっかり沈んでいる自分をnoteにしたためた。書かなくてもいい、発信しなくてもいいのでは、と思う。

そんな中で、ある返信が気になった。
役割や属性で一括りにする発言だった。イメージとしては「一家を養っている男性より、気楽に働けるママはいいよね」のような内容だった。(あえて扱うジャンルを大きく変えて表記しているけれど)

それをみて思ったのは、そう言われたときに、やっぱり、私たちの属性も理解してもらうのは難しいということだ。子育てをしながら仕事をする。とはいえ、一家を支えるほどではない、というとき。本来、同じ状況を経験している人たちにはその苦労が比較的わかるかもしれない。でも、身近にいなければ軽くあしらわれることもあるだろうし、共感されないことも多いだろう。だから逆に、発信しようと改めて思ったのだ。

おそらく、現代の生活は、それぞれの属性があり、属性の中でも細分化されていると思う。価値観も生き方も多様化が進んでいるから尚更で、わたしも過去の職場にはロールモデルを見出せなかった。
わたしはコミュニティに属す中でメンターに出会うこともできたし、フリーランスのワーママと話せる機会があった。今話ができているかどうかは別として、こんなふうに生きている人がいるんだと思うと、視野が自然と広がるものだった。

だから、わたしはわたしのままで発信していいと思った。
それぞれの人の中にそれぞれのストーリーがある。100%一致するなんてことはあり得ない。特に現代は。でも、自分にとって都合のいいというか、理想なストーリーに出会えるとしたら、一時的に交差して取り入れさせてもらうのはとても有益だと思う。
わたしは実際にいろんな場面でストーリーの一部を受け取らせてもらって、自分に生かしている。それで自分が幸せになれるのであればそれはとても素敵なことだと思う。

きっと、わたしたちは本当の意味で相互理解なんてできない。それぞれの立場で大変だし、それぞれの立場に努力できる部分がある。なるべく一致しない生き方や価値観もわかりたいなと思うし、リスペクトできる自分でいたいと思う。だけれど、理解されないことを悲観したり、残念に思ったりするのは当たり前すぎてもったいないのかも。

ということでわたしは引き続き自分を生きていくし、恥ずかしくても発信していくと思う。

ちょっと吹っ切れたからありがとう。


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