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#60 誰かの的に頑張るのをやめ、自分寄せでがんばる生き方に 〜拝啓4年前のわたしへ

今日は4年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

今日はmosabaカレッジでの振り返りミーティングでけっこう深い話ができたり、お客様が素敵な議題を持ってきてくださったので、同じテーマについて考える時間があった。

それが、どこを目指すか問題だ。

過去のわたしは、ビジネスでの成功を目指していました。経営コンサル系の会社や、スタートアップを社員として経験し、周りの基準がビジネス的にこの規模までいけば成功だ、とか、バイアウトして云々・・・みたいな話がよくあって。女性であるわたしがそこまでやれるとも思っていなかったけれど、それでも、みんなが一目置くような実績を上げたり、キャリアを築くことを目指していたと思う。

今のわたしは、というと、おもしろいことを企てて行きたいとか、自分なりに小さい組織を作って仕事を通して教育的な支援をして行きたいとか、そういった目標はあるけれど、自分に即した目標を目指しているという実感がとても強い。

「どうして一般的な成功を目指す形ではないって腹落ちしたの?」と質問をもらって答えたことだけれど。

「一度そういうのを本気で目指して挫折したから」という回答が出てきた。

4、5年前はバリバリに行けそうな道筋までプロデュースしてもらって、目指していたラインがあった。その時期に、奥歯2本粉砕したり、娘に帯状疱疹出たり。わたし自身は、本当はこうしたい、これはこれ以上やりたくないという我が強く、それを我慢できなくなってしまった。
そこで、わたしは子供を抱えながら何をしようとしているんだろう・・・と一度真っ白になったのでした。

その後もある種、違う意味での成功みたいなものを追い求めては、もっと自分のすきなことやりたーい!と、結果的には投げ出すことになったりで、なんだかまとまらないというか、スッキリしない感じが強かった。

今、どう変わったのかというと、そんなわたしの我が強い部分も含めてわたしのやり方に全振りしていることが大きいなと思う。我慢をするのではなく、自分がやりたいことを実現するためにやるべきことをコツコツやっていく。がんばっているか?と言われたらがんばっていると思う。でも、がんばっている!って感じはない。
我慢してやっているわけではないことがポイントだと思う。
仲間のばたちからは、「がんばってきているけど、がんばり方を変えたんだね。望むがんばり方に」と言われた。まさしくそうだなと思った。


なので、最近いろんなご相談をいただくときに、「がんばりたいけれど頑張れない。わたしダメなんですよね・・・」というお話や、「切り拓いて行きたいんです。ただ、方向性がわからないんですよね」というお話に、深く共感するわけです。

そんなにご自身を責めないでぇと心から思ったりするし、

「そもそも、目指しているところがどの辺りなんでしょうねぇ」とか「もしかすると、それ、周りにそういう人が多くないですか?」と聞いて深ぼって行ったりするわけです。

なんだかうまく進めない・・・という時は、自分がダメなのではなくて、本来の自分が目指しているものと、いろんな周りの声が影響で頭で目指しているもの合致していないことで起きていることも多いのかなと思います。本当に目指していることに、本当に合うやり方であればスムーズに進むのかもしれないと。


今回、2024年応援キャンペーンというものを作ったのだけれど、これも、本来目指したいものと、頭が目指しているものとが一致していない人向けに、作ったものでもある。

何かを目指してがんばってきたことは、今もちょっと無理してがんばろうとしている誰かに、何か伝えられることがあるのだと、何事も意味があってありがたいなと思った。お役に立てそうな人は気軽にお声がけくださいね^^

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